帰りたいと泣いた観音さま

「鷹の爪」と言えば、アニメかトウガラシのことだ。アニメはよく見たし、トウガラシは時々料理に使っている。だが、本物の鷹の鉤爪は見たことがない。どのくらいの握力があるのだろう。岩に留まったら痕が残るのだろうか。

赤穂市有年原に「小鷹の観音堂」がある。

少し高いところにあり、山陽本線、国道373号、千種川が南北に延びるのが見える。南に下ればJR有年駅、国道2号、西国街道があり、この辺りは交通の要衝である。古くから栄えていたらしく「前方後円墳まであと少し」でレポートしたような弥生時代の遺跡がある。

人々が信仰を寄せたであろう観音堂には、どのような由来があるのだろうか。標柱の説明を読んでみよう。

赤穂城主浅野長直の建立と言われる。『播磨鑑』によれば、岩に鷹の爪跡があることから「小鷹」の名が付いたとされている。境内には宝篋印塔、地蔵、湧き水井戸がある。

浅野長直は五奉行筆頭浅野長政の孫で、赤穂藩主浅野家初代である。元禄事件の内匠頭は長直の孫である。この地域の代表的地誌『播磨鑑』に何らかの手掛かりがありそうなので読んでみよう。赤穂郡「名所旧跡竝和歌」には、次のように記されている。

【小鷹山】有年村ノ上
此山の石に鷹とまりたる形有
今は碧岩苔生して見へす
其邊に蟻なし山と云有
一山に蟻なし其山の土を取て異地に入ても蟻不生實に奇也

「鷹とまりたる形」が鷹の爪跡のことだ。しかし苔むして見えなくなっているという。加えて、蟻が生息しない不思議な土があるという「蟻なし山」が紹介されている。こちらのほうが興味深いくらいだ。

これでは小鷹の観音堂が消化不良になってしまう。さらに調べると、『郷土の民話 西播編』兵庫県学校厚生会に「小鷹観音縁起」が掲載されていた。冒頭を読んでみよう。

正保三年(⼀六五〇)常陸国の笠間から⾚穂へ所替になった浅野⻑直は、⾚穂へ着くと、まず塩⽥や新⽥の開発に⼒をいれました。富原(とんばら)新⽥の開発もそのひとつです。富原新⽥は、堤防をつくって川の流れをかえて、もとの川原を開墾して新⽥をつくったもので川のそばにはありましたが、⼟地は⾼く、⽥を養う⽔は、⼆キロメートルも上流の⼩鷹というところに⻲の甲堰をつくって、そこから⽔をひかなければなりませんでした。

富原を地図で見ると、確かに川原だったことがよく分かる。ここに水を引くために、小鷹に取水堰を造ったという。工事中に一寸八分の金の観音像が見つかったので、お殿さまに献上した。ところが観音像が夜中に「小鷹に帰りたい」と泣くので、長直は小鷹にお堂を建てて祀ることとした。これが観音堂の縁起である。

「帰りたい」と泣いた石は「おかやま山陽ゆかりの史跡」で紹介したことがある。この観音さまも似たパターンの伝説だ。ゆかりある場所からむやみに動かすのはよくない、という戒めらしい。文化財には現地保存の原則があることを語り伝えようとしたのだろう。

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