戦国

播備国境を監視した山城

隠岐へと向かう後鳥羽上皇の遷幸ルートはけっこうな謎で、分からないだけに各地に伝説が生まれているが、私が有力視しているのは「嗚呼、承久の乱800年!」で紹介した備前東部北上ルートである。上皇は播備国境を「才ヶ峠」で越えたという。今は枯葉に埋も...
平安

ヤマトタケルと早良親王

誰が決めたのか日本三大怨霊とは、菅原道真、平将門、崇徳天皇だという。しかし私は早良親王が入ってよいと思う。桓武天皇は実弟早良親王を廃太子としておきながら、親王が憤死すると「崇道天皇」と尊号を贈り、たびたび霊に謝罪した。天皇が謝るくらいだから...
江戸中期

須らく精熟なるを要すべし

岡山が教育県と呼ばれるのは、史上名高い閑谷学校があるからだとも、寺子屋や私塾が多かったからだとも言われる。江戸時代の全国私塾数1505のうち岡山県は144あり、全国一の割合を占めている(『岡山県教育史上巻』)とのことで、教育熱心なのは間違い...
戦国

四百年を経ても続く主従の絆

傘を刀に見立てて斬り合うように踊る「大島の傘踊り」という盆踊りがある。笠岡市大島地区に伝わり、岡山県から重要無形民俗文化財に指定されている。戦国領主であった細川通董(みちただ)公の百年忌墓前祭に、大島村から参列した遺臣らが踊りを奉納していた...
安土桃山

龍宮門をくぐると高校だった

お城と学校の相性はよく、篠山城の中には丹波篠山市立篠山小学校が、高田城の中には上越教育大学附属中学校がある。かつて金沢大学が金沢城にあり、岡山一中が岡山城にあった。おそらく街の中心部に広大な土地を確保できるという利点があるからだろう。浅口市...
江戸前期

鴨方往来が向かう場所

近世山陽道は西国を貫く主要道であり、その役割は国道2号に引き継がれている。国道1号の東海道が金メダルなら、山陽道は銀メダル、古代であれば金メダルというべきステータスだろう。大局的にはそうかもしれないが、岡山城下から西に向かう道路では事情が異...
戦国

三重堀切の断面を見よう!

「扇の的」は『平家物語』屈指の名場面である。決定的瞬間を高輝度画面でスローモーション再生するような映像美が感じられる。巻第十一「那須与一」を読んでみよう。与一鏑(かぶら)を取(っ)て番(つが)ひ、よ(っ)引いてひやうと放つ。小兵(こひやう)...
戦国

大きな堀切に守られた小さな砦

歴史地理学を繙けば、歴史的事象が「交通」に大きく制約されていることが分かる。今のドローンのように自由自在に攻撃できるわけではない。関ヶ原なり川中島なり、決戦場所に選ばれたのは理由がある。岡山県のうち備中地域の交通は、現代の国道180号とか高...
戦国

主郭と土塁と堀切と

「酷道」や「険道」と呼ばれる国道や県道がある。このブログでも「1.5mの険道をゆく」で岡山県道455号小山桑上線をレポートした。普段は広い道ばかり快走しているから、道が狭くなると二進も三進もいかなくなったらと不安で仕方ない。しかし考えてみれ...
戦国

岩山古城跡アリ城主不知

岡山県道268号白尾塩生(しろおしおなす)線は全線走破できない道として知られている。鷲羽山スカイラインや瀬戸中央自動車道の柳田(やないだ)トンネルと交差するように見えて、つながっていない。上り下りともに行き止まりになっているのだ。話題にした...