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神話

神様の水争い

日本の神々は人間的で,よくけんかをする。石龍比古命(いわたつひこのみこと)と石龍比賣命(いわたつひめのみこと)の夫婦もそうだ。『播磨国風土記』が灌漑用水をめぐる争いを伝えている。夫は北の越部村に,妻は南の泉村に水を流したいと思っていた。夫は...
戦前戦中

祖国の美しさと倉田百三

庄原市立庄原小学校の校歌は,倉田百三の作詞である。百三の晩年,昭和十七年の作だ。「春は上野か秋去れど国兼池の紅葉狩り」と歌われるように,上野池の桜は今でも美しい。池のほとりに百三の文学碑がある。その文は『愛と認識との出発』が描くような美的世...
南北朝

流浪の皇子

元弘の変で父帝・後醍醐天皇が隠岐に流された時,皇子・宗良親王は讃岐に流された。三豊市詫間町詫間田井に「王屋敷」という旧跡があり,宗良親王が住まわれていた場所だと伝えられる。昭和十年に宗良神社とされ,今日でも地元で手厚く祀られている。傍らに句...
平安

国境の細い谷川

国境(くにざかい)の橋は「両国橋」と呼ばれ,両国国技館近くのものが有名だ。ここは隅田川をまたぐ武蔵と下総の境である。ここで紹介する両国橋は,橋があるのかどうか分からないくらい小さい。岡山市の吉備中山を帯のように流れる「細谷川」を渡る橋だ。こ...
平安

和泉式部の「へぼ歌」

和泉式部は伝説の歌人である。厳島参詣の折に大嵐に遭い,尾道の向島に上陸した式部。夫の保昌と相談し,天神山にある枝ぶりのよい松を古江浜に移植した。時を経て枝が四方に広がった松が明治十年頃まであったという。古江浜の金比羅宮・胡神社の右手に「和泉...
神話

吉備の巨人伝説

ダイダラボッチという巨人の足のあと,手のあとは日本各地にある。特に浜名湖が手をついた跡だという巨人は,想像力を働かせるに余りある大きさである。ここで紹介するのは,岡山市にある吉備中山の山中にある「ダイボーの足跡」だ。縦横20メートルくらいで...
戦後

地方の懐かしい銀座

「銀座」,それは地方において繁華街の代名詞であり,人々のあこがれであった。元来は銀貨の鋳造を行った機関であるが,銀のきらびやかなイメージが商店街と結びついていった。今でも都市を代表する繁華街として名実ともに銀座の名を冠している商店街も多いの...
源平

平清盛と吉備高原

平清盛の供養塔は京都や明石に存在し,いかにもそうだろうと納得させてくれる。ところが,彼の活躍の舞台からやや離れた吉備高原の山中にも,清盛のものと伝えられる供養塔がある。岡山県の吉備中央町湯山に清水寺という天台宗の寺院がある。「せいすいじ」と...
江戸中期

琉球楽人の客死

琉球使節の江戸上りは,薩摩,長崎を経て下関から大坂まで海路であった。瀬戸内でも有数の港である鞆の浦にも使節の定宿があった。将軍・家斉の襲封を祝って寛政2年に琉球から慶賀使が遣わされた。ところが,一行の楽人である向道亨は病に倒れ鞆で亡くなる。...
戦後

色丹島の景勝

色丹島の又古丹は,この島第一の景勝地だ。ロシアではオトラドナヤ湾と呼んでいる。コタンという音はアイヌ語に由来するのだろう。しかし,今ではアイヌは墓を残すのみだ。「クリル人墓地」との日本語表記で保存されている。島の中心集落・斜古丹からは,国後...