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安土桃山

戦国のクレー射撃

刀は武士の魂というが、鉄砲で幕府に仕えていた「鉄砲方」という幕臣がいた。井上正継と稲富直賢は鉄砲方(大筒役)の同僚であった。正保三年(1646)9月のこと、稲富が五貫目玉の五十町打の演習を許可されたことで、井上は「(同じ鉄砲方の)田村景利な...
戦国

雪舟が描いた石地蔵

雪舟の『天橋立図』は、我が国を代表する水墨画であると同時に、歴史地理の貴重な記録である。そこには今より少し短い中世の天橋立が描かれている。水墨画の第一人者との出会いは、天橋立にとって貴重な付加価値となった。およそ水墨画というものは墨のにじみ...
江戸前期

天の橋立、千人斬り

本ブログにも、たまには名作というのがあって、「最初の日本最後の仇討」はその一つである。日本人は仇討ちが大好きだ。基本的に勧善懲悪が好きなのだろう。悪い奴がやっつけられるとスカッとする。『痛快TVスカッとジャパン』を見る気持ちに通じる。宮津市...
江戸前期

和泉式部が詠んだ幻の歌

藤原道長は人をからかうのが好きで、和泉式部のことを「浮かれ女」と呼んだ。『和泉式部集(第二)』に、次のような歌が掲載されている。詞書から読んでみよう。ある人のあふぎをとりてもたまへりけるを御らんじて、大とのたがぞと問はせ給ひければ、それがと...
明治

天橋立を揺るがす「万歳」の声

大正天皇は有名なゴシップ、遠眼鏡事件で病弱なイメージが増幅した。しかし天皇は、皇太子時代に全国各地を訪れ、国民からの大歓迎を受けていた。明治40年10月には、韓国にさえ訪問しているのである。精力的に行動する青年だったのだ。宮津市の天橋立に「...
戦前戦中

帝国海軍が残した建物と料理

今はないエリー卜校に、海軍兵学校と海軍機関学校がある。志願できるのは15歳以上19歳未満の者で、学歴は不問だった。ただし、旧制中学4年1学期修了程度の学力を必要とする学術試験が課せられていた。倍率はたいへん高く、20倍を超えることもあったよ...
明治

赤煉瓦建築の聖地

「三匹の子ぶた」は、建材の強度を子どもたちに分かりやすく教える話である。わらよりも木、木よりも煉瓦である。煉瓦造りは丈夫な建物の代表だったが、今やノスタルジックでおしゃれなイメージが売りになり、「近代化遺産」とまで呼ばれるようになった。本ブ...
幕末

維新を前に散った志士たち

尊王攘夷運動をどう理解するかは、歴史の難問である。この運動が、天皇を頂く中央集権国家を形成する原動力となったことは確かだ。つまり「尊王」という側面からは、日本の近代化を促したものと評価できよう。一方、「攘夷」は排外主義である。鎖国と何の違い...
幕末

開国の功労者の左遷

こんな誤解がある。優柔不断な幕府は、軍事力を背景としたペリーの要求に屈し、日米和親条約を結んだ。実際のところ、幕府代表団はペリーに対して粘り強く交渉している。相手の要求を理解し、こちらの立場を主張し、もちろん礼儀をわきまえ、対等に渡り合った...
明治

最後の将軍、最初の撮り鉄

少し珍妙に聞こえるかもしれないが、徳川慶喜とミハイル・ゴルバチョフは似ている。徳川慶喜は最後の征夷大将軍、ゴルバチョフはソビエト連邦最後の元首である。組織を滅亡させてしまった最後の人ならいくらでもいる。多くは自らの失策によるものだ。しかし、...