切株が語る菅公の伝説

何でもない木や岩が聖化し、人々が信仰するようになる要因は、特異性と物語性にある。「こんな場所にこんな大きな岩が…」と目を見張る特異性。「この木にはこんな由来があるのか!」という物語性。その物語にしばしば登場する菅原道真。本日の史跡では、どのような物語を残したのだろうか。

岡山市東区西大寺金岡東町二丁目に「裳掛天満宮」が鎮座する。

以前に「裳掛岩」の伝説を紹介したことがある。その折には飛鳥井姫や弘法大師とのゆかりが語られたが、今回はどなたの衣装で、何の木に掛けたのだろうか。説明板を読んでみよう。

裳掛天満宮
昌泰四年(九〇一年)一月
菅原道真公九州太宰府に
左遷の途次犬島付近にて
暴風雨に遇いこの地の
観音堂に難を避ける
その後観音堂は寶琳寺
となり菅原道真公神社を
鎮守として祀りあり
後岡山藩主池田光政の代
寛文年間藩命によって
天神社を寺より分離独立
せしむ
菅原道真公避難の際
衣装を境内の松に掛け
乾かしたるに困り
裳掛天満宮と称す

この話の出典は江戸中期の地誌『備陽国誌』である。上道郡「神祠」には、このように掲載されている。

裳掛天神宮 金岡村。社領一石九斗。
創造時代不詳。社司の説に、菅丞相筑紫へ左遷之時、金岡の海上にて、日暮風波にあひ給ひし時、此所の松原に火の光り見えしによりて、舟を寄せ陸に上り、此松原に裳を掛け給ひしによりて、裳かけの松と云ひ、又裳掛の天神と云ふ。

確かに境内には松の木がある。服を掛けるのにはちょうど好いが、伝説の松にしては小さすぎる。そこで、よく見ると…。

大木の切株に瓦祠が置かれている。もしかするとこれが「裳掛の松」だったのかもしれない。社前の道を北に進めば金岡湊がある。吉井川の高瀬舟で運ばれた美作の産品は、ここから上方方面に運ばれていった。物資の集散地である。

物が集まれば人が集まり、人の集まる場所には名所ができる。「へー、これが菅公ゆかりの松か…」と多くの人が見上げていたのだろう。明治大正の名所案内には「裳掛天神」として紹介されていたが、鉄道の時代になって注目度が下がったようだ。

須磨の綱敷天満宮、高砂の曽根天満宮と、菅公が立ち寄られた両社には、菅公ゆかりの松がある。同様な由緒のある裳掛天満宮を含め、三社を巡るツアーを企画してもよいだろう。ただ惜しむらくは、いずれの松もかつての姿を留めていないことだ。

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