菩薩には観音菩薩、弥勒菩薩、文殊菩薩などありがたい仏様がたくさんいらっしゃるが、親しみやすいのは、やはり地蔵菩薩、お地蔵さまだろう。笠地蔵などの昔話に登場し、史跡巡りでよくお目にかかる。
「人は峠を越え、汽車はトンネルを抜ける」で紹介したように、古くからの峠道にはお地蔵さまが祀られている。これにはどのような意味があるのだろう?試みに3種のAIに「峠に地蔵が置かれているのはなぜ?」と尋ねてみた。
簡にして要を得た回答をしてくれたのはChatGPT、優しく寄り添うように易しい言葉で解説くしてくれたのはGemini、根拠や具体的事例を示すとともにまとめを付けて解説してくれたのはCopilotである。このCopilotが岡山県ならこれだよと教えてくれたのが、先のリンクで紹介した「箕地峠の延命地蔵」であった。

兵庫県赤穂郡上郡町宇野山に「椿峠地蔵像板碑附地蔵像板碑」がある。文化財本体と附(つけたり)指定の名称が同じだ。おそらく大きい方が本体だろう。
箕地峠の延命地蔵は津山往来というローカルな街道にあるが、この椿峠は押しも押されもせぬ大道、古代から中世にかけての山陽道である。重要な人物、物資、情報が通るのを、お地蔵さまは見ていたのだ。説明板を読んでみよう。
県指定文化財 椿峠地蔵像板碑付地蔵像板碑
指定年月日 昭和63年3月22日
所有者・管理者 宇野山自治会
左右に並ぶ二基の地蔵像板碑が県指定文化財(考古資料)に指定されている。
大きい板碑は凝灰岩質の自然石を板状に加工し(高さ110cm 幅93cm 厚35cm)表面に舟形を彫り込み、地蔵像(高59cm)を浮彫りにしており、銘は舟形の外輪部にあったと察せられるが、現在では判読し難い。手法により室町時代中期の造像とみなされている。
また小型の板碑は同質の石を蒲鉾形に彫成し(高90cm 幅25cm 厚13cm)、表面は地蔵像を刻みだし、舟形はない。時代は室町時代のものと推定されている。
石造美術史の地域特性を考察する上で、両者とも重要なものである。
平成元年10月 兵庫県教育委員会
前を通る道は県道5号姫路上郡線である。峠から西へと下ると、古代なら高田駅家があった。中世であれば、さらに西に山野里宿が栄えた。京へ上る旅人は、長い旅路の安全を椿峠のお地蔵さまに祈ったはずだ。
3種のAIは峠地蔵が置かれた理由を3つ4つ示してくれた。すなわち「旅路の安全」「死者の供養」「土地の境界」そして「道標」である。
文字が磨滅している地蔵像板碑に何が書いてあったかはわからないが、室町時代であれば行先や里程だったとは思えない。そして現在は上郡町と相生市の境だが、かつては峠の東西共に赤穂郡に属していた。
地蔵像板碑はやはり安全祈願、死者供養を目的として置かれたのだろう。車を走らせると短時間で越える峠道だが、切り下げられる前の昔の道はどんな様子だったか。思わず手を合わせる気になるくらいの苦労があったことだろう。

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