地中深くに安置された竪穴式石室

松木武彦先生の『古墳時代の歴史』を読んで勉強になった。前方後円とか上から見た形ばかり話題になる古墳。当時の人々は横から見ていた。そりゃそうだ。ドローンじゃあるまいし、上から見ることはない。ならば私たちは横からの見た目にも着目しなくてはならない。

倉敷市真備町下二万(しもにま)に「勝負砂(しょうぶざこ)古墳」がある。

帆立貝型古墳という墳形を念頭に訪ねると、そのように見える。この古墳はずいぶん前に大変話題になった。未盗掘の竪穴式石室が見つかったのである。墳頂の説明板には、発掘当時の写真が掲載されている。解説を読んでみよう。

岡山県指定史跡
勝負砂古墳
平成21年3月10日指定
周溝をもつ帆立貝形の前方後円墳で、全長約43m、後円部の径は約33mを測ります。平成19年の岡山大学による発掘調査によって未盗掘の竪穴式石室が見つかりました。
粘土で入念に覆われた石室は、長さ3.59m、最大幅1.2m、高さ約0.7mの大きさをもっています。この石室は、墳丘の構築に先だって築かれるとともに、粘土をまじえながら側壁の角礫を積むという技法が用いられており、朝鮮半島南部との強い関連がうかがえます。
石室の中からは、青銅鏡1面や、短甲と呼ばれる鉄製のよろい・大刀・槍・鉄鏃のほか、鈴杏葉(すずぎょうよう)と呼ばれる鈴のついた珍しい青銅製の馬具など、多くの副葬品が埋葬当時のままの状態で発見されました。これらの副葬品などから勝負砂古墳は5世紀末の築造と考えられています。
倉敷市教育委員会

石室を造る技法や鈴杏葉に、朝鮮半島南部との強い関連がうかがえ、短甲からは畿内との軍事的な結びつきが考えられるとのことだ。

倉敷市真備町下二万と同町川辺の境に「天狗山古墳」がある。写真中は墳頂、写真下は周濠を写している。

この古墳も帆立貝型古墳であり、山の上ながら周濠をもっている。二種類ある説明板を読んでみよう。

天狗山古墳
南山と矢形の境界、標高70mの稜線上にあり、眼下に高梁川・小田川が流れている。
全長85m、墳丘の高さ9m帆立貝形の前方後円墳で、小田川以西で最大級。周堤、周壕、竪穴式石室を持つ5世紀後半築造の古墳。戦前の発掘で副葬品には、銅鏡・馬具・靫(ゆぎ)・鉄剣・鉄刀などが出土し、現在東京国立博物館で保管されている。
1998年より3年間、岡山大学考古学教室が発掘調査の結果、竪穴式石室は深さ5mのところにあり、角れきを積み重ね、間に粘土を詰めてべンガラで赤色に着色。床面に玉砂利を敷き詰め、その下より鉄剣が出土した。埴輪列は周堤部、墳丘中段および墳丘頂上部にあり、葺き石は墳丘全面に施され精緻にしかも丁寧に築かれている。埴輪は円筒埴輪、朝顔形埴輪、蓋形(きぬがさがた)埴輪等。
真備町内では二万大塚古墳・箭田大塚古墳へと引き継がれていく
川辺まちづくり推進協議会

倉敷市指定史跡
天狗山古墳
平成17年12月5日指定
天狗山古墳は高梁川と小田川の合流地点を望む、標高約90メートルの南山の山上に築かれた帆立貝形の前方後円墳です。
岡山大学が行った平成9年度からの調査で、墳丘の周りに並べられた埴輪や、墳頂から約5メートルの深さに築かれた竪穴式石室の様子が明らかになりました。
この古墳は吉備中枢部に造山・作山古墳を造った勢力が没落した5世紀末に、現在の真備町地域にいた豪族が力を持ってきたことを示す重要な遺跡です。
倉敷市教育委員会

やはり竪穴式石室に特徴があり、勝負砂古墳同様に朝鮮半島南部との強い関連があるようだ。特に出土品の陶質土器は、韓国栄山江(ヨンサンガン)流域とのつながりが考えられるという。韓国では珍しい前方後円墳があることで知られている。

造山・作山に取って代わった勝負砂・天狗山の権勢は、二万大塚・箭田大塚へと受け継がれた。大和王権の対朝鮮外交に参与し、吉備における優位性を認められた門閥が築いた古墳なのであろう。

地中深い竪穴式石室の豪華さは私たちを驚かせる。だが、当時の人々が目を見張ったのはやはり外見であった。勝負砂にはないが、天狗山は葺石で覆われ埴輪が立ち並んでいた。その様子は江戸後期の地理学者、古川古松軒『吉備之志多道』に「南山古墳の図」として記録されている。

古松軒は「六七十年以前までは、甒六七百余もありて、土人子壺と称せしなり。」と言う。埴輪がたくさん並んでいたが、持ち去られたり壊されたりで「今残る所の甒漸く七八つ見ゆるなり。」という状況となった。『吉備之志多道』は安永九年(1780)成立と言うから、18世紀初め頃までは古墳の壮観な姿を見ることができたのかもしれない。

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