弥生以前

名は残らずともお墓は残る

古い墓はすべて「古墳」なのかと思ったら、そうではないようだ。古墳時代に造られたお墓を古墳という。いや古墳が造られた時代だから古墳時代と呼ぶのだと思うが、弥生時代のお墓は「墳丘墓」、中世以降のお墓は「墳墓」と呼んで区別している。おなじ大昔でも...
大正

戦利品だった水力発電所

便利なものはすべて電気で動く。灯り然り、スマホ然り、もちろんこのPCも、そして自動車の電化が加速している。非常時最大の課題は、電源の確保と言って過言ではなかろう。いっぽう今、世界各国で合言葉のように叫ばれているのが、脱炭素化によるカーボンニ...
南北朝

後醍醐天皇はどこを通ったか

隠岐配流の後醍醐天皇は美作から伯耆へ抜けたのだが、どのようなルートだったのだろうか。アーカイブス「後醍醐天皇の休石」で紹介したコラムによると、遷幸ルートには次の4説があるという。①「岡山県久世から中和村を経て、鳥取県の下蚊屋に入った」②「岡...
戦後

白馬飛び奔龍躍って深潭に入る

夏の声を聞くと、滝が呼んでいるような気になる。その流れが、その音が、あたりに涼感を醸成しているのだ。滝の形状にはいくつかの種類があり、人気なのは直瀑、崖からそのまま落下する豪快さは滝の代表的なイメージである。途中に段がある段瀑も変化に富んで...
弥生以前

「東洋一」と言われる甌穴群

「雨垂れ石を穿つ」というが、水の力には頭が下がる。あのポツポツとした水滴が、岩に穴をあけるというのだ。小さな努力の積み重ねが、大きな成果につながることを示す。私ごときにはなかなかできないが、少しでも水の力にあやかろうと、今回は甌穴をレポート...
明治

巨大蜂の伝説と明治のパンデミック

人形峠はウランで有名だったが、真のレゾンデートルは今も昔も作州津山と伯州倉吉を結ぶ重要ルートであることだ。国道179号は快適な道で、ちょっと長めの人形トンネルを抜けると、鳥取県を滑るように下っていく。あたりが街になったら、そこは倉吉である。...
江戸前期

かつての王舎城はいま

「鹿野学園王舎城学舎」というから、てっきり仏教系の私立学校かと思ったら鳥取市立の義務教育学校だった。「王舎城」とは、古代マガダ国の首都ラージャグリハの漢訳名で、釈迦説話に登場する。由緒ある地名を校名に採用したのはなぜだろうか。鳥取市鹿野町市...
明治

殖産興業の女性活動家

昆虫食がゆっくりと普及しているようだが、このほどタイカレーに仕上げた「昆虫がおいしい カイコのカレー」が発売されたという。1缶に31匹分のカイコさなぎが入っており、うち8匹は姿煮、残りはパウダーである。かつてカイコは繭で日本経済を支えていた...
安土桃山

亀井茲矩が恩義を感じた人々

十勇士には真田十勇士と尼子十勇士がある。真田十勇士は猿飛佐助に霧隠才蔵、三好晴海入道と有名人が多いが、尼子十勇士は山中鹿之助以外にほとんど知られていない。山中鹿介は実在するが、その他の勇士たちはどうなのだろうか。鹿介の墓近くに、このような人...
安土桃山

琉球守を拝受した武将

神聖ローマ帝国のことを「神聖でもなければローマでもなく、帝国ですらない」と批評したのは、啓蒙思想家ヴォルテールだ。現代でも民主主義を冠する独裁国家があるから、国号が実態と異なってもよいのだろう。ここでは「めざせローマ!」という気持ちを込めて...