戦後

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円形劇場のような棚田

記事の総数が1500に達しました。これもひとえに閲覧いただいた皆様のおかげと深く感謝申し上げ、良質な内容の情報をお届けするべく努力してまいります。今後ともよろしくお願いいたします。「これはヒガンバナいうてな、秋のお彼岸になるとかならず咲く花...
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三級の浪高うして魚龍と化す

屋根より高い鯉のぼりを私も揚げてもらった。庭先に大きな柱があり、そこに長い竿が取り付けられていたように思う。近ごろの住宅地では、ベランダに設置できる小さなものが好まれているようだ。使われなくなった大きな鯉のぼりは、川や谷を渡る長いロープに何...
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祖国へと命を運んだ連絡船

子どものころ『岸壁の母』という歌がヒットしていたが、母が何をしに岸壁に来たのかよく分かっていなかった。外地から引き揚げてきた人が身近にいなかったこともあり、「舞鶴」という地名に特別な思い入れを抱くこともなかった。舞鶴に初めて行ったのは数年前...
戦後

転車台がある県境の駅

まっすぐに突き進むのは、それはそれで美学だ。進むからこそ新しい世界が開けるというもの。パイオニアの伝記からは一歩踏み出す勇気をもらうことができる。それでも私は思う。「引き返したっていんじゃね?」「よくがんばったよ。おつかれさま」本日は引き返...
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こいのぼりの泳ぐ棚田

ブログ開設以来の総アクセス数が47万を突破しました。これもひとえに皆様方のおかげと深謝申し上げます。今後も研究を重ね、有益な情報が提供できるよう精進してまいります。なにとぞ、よろしくお願いいたします。日本百選はさまざまあるが、棚田百選を紹介...
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動かぬ船、それは軍艦島

子どものころ、「軍艦じゃんけん」をやっていた。グーは「軍艦」、チョキは「沈没」、パーは「破裂」と呼んだ。最初は親決めで「戦争(せーんーそ!)」と言ってじゃんけんし、勝って親になると「軍艦、軍艦、(任意)」と言って、掛け声に合わせた手を出す。...
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平らけく安らけく

奈良の大仏を前にしたとき、その巨大さに感嘆する。聖武天皇が大仏を建立したのは、政情不安や天変地異、疫病流行などが相次ぎ、心の拠り所を求めたからである。その大きさは安定を表し、安らかなお顔は慈悲の象徴、こちらに向けられた右手は「怖がらなくてい...
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己の如く隣人を愛せよ

バスが長崎市内に入るとガイドさんが、如己堂の永井隆博士のことを語り始めた。『この子を残して』の一節を朗読してから、静かに「長崎の鐘」を歌い始める。戦後ほどない古い曲だが、心に訴えかける力を失っていない。サトウハチローの詩に古関裕而の曲という...
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団結の力を以て対処する

辺野古問題の行く末はどうなるのか。土砂が投入され半年が過ぎ、既成事実化が加速しているようだ。こうして基地が建設され、やがて「出来てしまったものは仕方ない。有効に使おう。」なんてことを言う日が来てしまわないか。暗澹たる思いを巡らしているうちに...
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渡りきれるか心配な踏切

うちの近くに昔、警報器も遮断機もない踏切があった。堤防の跡地に線路を敷いていたので、踏切の前後が坂になっていた。ある時、思い切り自転車をこいで踏切に上がると、汽車が近付いていて肝を冷やしたおぼえがある。本日は田舎にはあり得ない都会の踏切を紹...