南北朝

南北朝

南朝武将は勤皇家?

南北朝の争乱は理解が容易でないところに魅力がある。北朝が勝利しながら正統なのは南朝である。北朝は優勢でありながら内訌が絶えない。北朝武将が方略のために南朝に走ることも珍しくない。坂出市林田町にある「細川将軍戦跡碑」は,南朝方の細川清氏が従兄...
南北朝

忠臣高徳の甥の活躍

『太平記』での児島高徳の忠義ぶりはずいぶんと称賛されてきたが,南朝方で活躍した備前の武士は他にも多い。岡山市西大寺松崎に「松崎彦四郎範家候墓所」がある。JR赤穂線に沿って斜面を登ると,その後裔の宅跡だという場所に五輪塔が建立されている。範家...
南北朝

流浪の皇子

元弘の変で父帝・後醍醐天皇が隠岐に流された時,皇子・宗良親王は讃岐に流された。三豊市詫間町詫間田井に「王屋敷」という旧跡があり,宗良親王が住まわれていた場所だと伝えられる。昭和十年に宗良神社とされ,今日でも地元で手厚く祀られている。傍らに句...
南北朝

南風競わず

後醍醐天皇の皇子たちは各地に転戦し、南朝の皇威を揚げようとした。遠江の井伊氏のもとに身を寄せた宗良親王もその一人だ。親王は井伊氏の娘、駿河姫を妃とする。戦いに向かう親王に同道しようとした姫は、浜松市北区細江町気賀の金地院の辺りで倒れ亡くなる...
南北朝

後藤又兵衛の先祖

姫路市香寺町矢田部に「後藤又兵衛ゆかりの郷倉」がある。後藤又兵衛とは,大坂の陣の勇将・後藤基次のことだ。郷倉は「ごむら」と読む。この「ごむら」は完形をとどめていない宝篋印塔の一群である。南北朝時代のものらしい。又兵衛と宝篋印塔,そして郷倉。...