神の姿をした大岩塊

神に姿はあるのか?という宗教的な命題がある。私たちはアマテラスとかオオクニヌシとか、漫画やイラストで親しんできたので、姿があることに違和感はない。しかし一方で、万物を超越した神に姿を求めることこそ不遜だという考えもある。一神教の立場である。

ただし、八百万の神を信ずる私たちだって、すべての神が直接姿を現すと思っているわけではない。山とか岩とか木とか、あるいは鏡のような人工物にも、神が宿ると信ずるのだ。

総社市秦(はだ)に石畳(いわだたみ)神社が鎮座する。写真は御神体の大岩塊である。

高梁川の流れがドーンと城山(荒平山城跡)にぶつかり、秋葉山へと向かう先端に巨岩が屹立している。これを気にも留めないなんてことがあろうか。不思議の岩、神宿る岩だと感じたことだろう。由緒を記した説明板がある。読んでみよう。

石畳神社由緒
一、鎮座地 総社市秦三九九五番地
一、創建 不詳(備中国十八座の一社)
一、社格 式内社 村社
一、御祭神 磐座経津主神(いわくらふつぬしのかみ)
一、御神体 大岩塊(高さ約六〇メートルの石柱・磐座)
一、祈願 水運・灌漑
一、祭日 毎年七月第一日曜日
一、 由緒
祭神の経津主神は日本神話に登場する神である。磐座信仰の秦氏との関係も注目される。また一説には、神武天皇に与えた刀である布都御魂(ふつのみたま)を神格化したものであるとも言われている。
石畳神社は、古来より本殿を設けず高梁川が大きく曲がる淵に聳える約六十の大岩塊(石柱・磐座)を霊代(よりしろ、神霊が招き寄せられて乗り移るもの)としてお祀りをしている。
万葉集に「石畳さかしき山と知りながら我は恋しく友ならなくに・・・」と詠われている。
高梁川は古代の人々にとって、水運と灌漑の両面において極めて大切なものであったに違いなく、その高梁川は暴れ川で洪水による災害が多く川の氾濫を鎮めるために祭祀されたのではないかと思われる。
拝殿は御神体の大岩塊(石柱・磐座)の真下にあったが、昭和三十年旧「豪渓秦橋」を架ける時現在の所に移転され、当時は屋台も出て参拝者も多く盛大にお祀りが行われていた。また、橋のない頃は、豪渓駅へは渡し舟で行き、また福谷地区との往来はご神体を取り巻くように、川の中に造った道を歩いていたが、昭和二〇年の大洪水により河川道がなくなり、昭和二十二年頃にご神体の磐座にトンネルを造り、交通の便が一段と良くなった。
平成二十七年十月
秦歴史遺産保存協議会

祭神の経津主神(ふつぬしのかみ)は「祝・日本書紀編纂1300年!」にも登場している。「ふつ」は刀で物を切る音だといい、刀剣と関連が深い。

『万葉集』の歌は、正確には巻第七のこの歌だろう。(一三三一)参考:鴻巣盛広『万葉集全釈』

寄山
磐疊恐山常知管毛吾者戀香同等不有爾
山に寄する
磐畳(いはだたみ)恐(かしこ)き山と知りつつも吾(あれ)は恋ふるか同等(なみ)ならなくに

岩が重なって近付きがたい山。同じように近付きがたいやんごとなき御方。私は賤しい身ながらも恋い慕っているのです。

神社の鳥居横を進むと、木々に覆われ自然へと還ろうとしている廃道がある。この先、大岩塊の手前で急カーブして旧「豪渓秦橋」があった。橋はもうないのかと思ったら、ほんの一部が残っている。

福谷地区へ抜けるトンネル。その手前に旧橋の橋台がある。トンネルのなかった頃には、川の中に造った道を歩いていた。橋のなかった時代には、渡し船で豪渓駅に出ていた。

大岩塊のご神体は秦地区の人々の生活とともにあった。現在は地域が誇る歴史文化遺産として、また地区外からは圧倒的な存在感のパワースポットとして有名である。神が宿っているというか、大岩塊そのものが神様に見えてくるのだ。

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