米価格高騰にホルムズ海峡危機、パンデミック…と世の中何が起きるか分からない。いざという時に備える備蓄は国家安全保障の要の一つである。米は100万トン、石油は輸入量の90日分、抗ウイルス薬は4500万人分を確保しているという。
江戸時代はどうだったのか。百姓から年貢を搾り取っていたイメージが強いが、食料安全保障もちゃんと考えていたという史跡を紹介しよう。

岡山県加賀郡吉備中央町小森に「小森の郷蔵(育麦蔵)」がある。
育麦はこの地を領していた岡山藩の実施した備蓄制度で、領内162個所の蔵(育麦蔵)に田1反につき2升ずつの麦を貯えたもの、ということだ。説明板を読んでみよう。
吉備中央町指定重要文化財
小森の郷蔵 育麦蔵(せみくら)
「建造物」有第5号昭62.8.25指定
郷蔵は岡山藩が干ばつや飢饉に備えて、その年の収穫の一部を農民に拠出させ、貯蔵した蔵である。
万一の場合には、これを農民に貸与し、収穫後返納させた。この郷蔵の棟札によれば、元文3年(1738)に建て替えたものを、90年後のぶん政11年(1828)に改築している。
岡山藩の記録「撮要録」によると、享保元年(1716)、当地域には郷蔵が23あったが、現存するのは、この郷蔵のみで、旧岡山藩に属していた地域内でも極めて珍しい建造物である。
吉備中央町教育委員会
「ぶん政」は文政である。意匠が凝らされた神社仏閣ではなく実用的な建物だから、残存しにくいのは確かだ。しかし、今日的には食料安全保障の魁として保存する意義は大きい。過去の記事「一年に一度は備蓄の確認」では、天保の大飢饉を教訓して生野代官所が設けた郷蔵を紹介したことがある。
岡山藩の郷蔵は、寛文十一年(1671)に津田永忠が始めた社倉米制度により設置されたと考えられる。新田開発の資金を得るのが目的だった。おそらく実際の災害も教訓としているのであろう。
承応三年(1654)の旭川大洪水では、溺死者156人に家屋流失3,733軒という甚大な被害が出た。引き続いて発生した飢饉で、餓死者は3,684人に上ったという。この時、あの千姫(天樹院)が助けてくれたことは「お江の娘と孫娘が岡山を救う」で紹介した。

小森温泉の近くに「小森薬師寺堂宝篋印塔」がある。町指定重要文化財(石造美術)である。
宝篋印塔は先祖供養や祈願のために建てられたというが、この塔は何を祈っているのだろうか。『加茂川町の文化財 改訂』によると、拓本により「康暦弐季」と判読できる銘があるというから、康暦二年(1380)の建立かもしれない。康暦二年については「康暦二年の石造鳥居は何を語るか」で解説している。
おそらくは、「寿限無」で語られる「くうねるところにすむところ」が確保される現世安穏を祈ったに違いないだろう。祈りに加えて、社倉米という制度を創設したのが江戸時代。そして現代は国が戦略的に備蓄を進めている。備蓄米倉庫にしろ石油備蓄基地にしろ、現物を保管して危機に備えるという考え方は、郷蔵の時代から変わらない。

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