大村寺にある謎の石塔たち

鎌倉時代の石造物に大きな足跡(鑿跡)を残しているのが、伊派という宋人石工集団である。伊行末(いのゆきすえ)を祖として後継者が各地で活躍した。備中、今の高梁市で活躍したのは伊行恒(いのゆきつね)。井野行恒と刻銘された作品が文化財指定されている。

吉備中央町上竹の大村寺境内に「大村寺宝塔」がある。宝塔は鎌倉時代によくある石造物だ。

塔身が茶色くなっているが、いったいどうしたことか。説明板を読んでみよう。

宝塔(賀陽町指定重要文化財)
鎌倉時代の名工、井野行恒一門の作と伝えられ戦国期、兵火を蒙り塔身は焼けている。
焼けた塔身と笠は、その後、合体せられたと思われる。
当山中興の実智上人の供養塔と伝承されているが、一説には平清盛公の供養塔であると伝えられている。

この宝塔にも伊派が関係しているようだ。戦国の兵火、そして八百年の歳月を耐え、よく今日まで残ってくれた。大村寺は聖武天皇の祈願所として大徳行基菩薩を開基としているが、その後衰退したのを中興したのが実智(じっち)上人であった。建保三年(1215)のことだという。

宝塔は実智上人の供養塔とされているが、興味深いのは平清盛を供養しているという説である。同じ吉備中央町には「平清盛供養塔」のあるお寺があるから、何か関連があるのかもしれない。

本堂の近くに「大村遺跡出土中世宝篋印塔五輪塔群」がある。こちらも賀陽町指定重要文化財だったようだ。塔の残欠が多く、その数もすごすぎる。説明板を読んでみよう。

大村寺五輪塔群
ここに祀られている五輪塔は、鎌倉時代末より江戸時代初期までの塔で、中近世の古墓群としては県下最大級であろうといわれています。
これらは、岡山自動車道の建設工事で、大村寺遺跡を発掘し出土したもので、百六十四基余りの塔が発見されました。(うち宝篋印塔十基)
花崗岩でできたものもいくつかありますが、ほとんどか白大理石で造られています。
また、江戸時代に入ってからの塔婆は、その時代の様式を表すものとして注目されています。
賀陽町

備中地方に特徴的な白大理石で造られている。小米(こごめ)石として知られた石だ。芝村哲三『備中秘史 埋められた白色五輪塔群』によれば、こうした白色五輪塔群には「慶長六年(1601)を境に、突然生産が止まり、すべて地中に埋められた」という歴史の謎があるのだという。備中国奉行の小堀正次が赴任してきたことが関係するらしい。

遠州の父正次は大和郡山城主豊臣秀長の配下にあって、検地や築城に辣腕を振るった。寺社勢力の抵抗を抑え、石塔石仏を石垣に転用した。その噂を聞いていた備中の人々は、富裕度を隠すため、転用石となることを防ぐために白色五輪塔を地中に埋めた。

なるほど、ストーリーとしては分かるが、果たしてどうなのか。平清盛の伝承に謎の白色五輪塔群。吉備高原には、まだまだ謎が多く残っている。

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