江戸中期

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漂流民から聞いた自分の名前

江戸幕府は海外情勢をどのくらい正確に把握していたのだろうか。例えば、ピューリタン革命で国王チャールズ1世が処刑(1649年1月30日)されたことは、約1年半後の50年8月8日付「阿蘭陀風説書」の次のような報告で知った。日本古文化研究所『阿蘭...
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プロジェクト『解体新書』

『ターヘルアナ富子』という女子高生が手術する破天荒なマンガがあった。決めゼリフ「おぺしましょ」は、「私、失敗しないので」(大門未知子)と同じくらい流行る可能性があったものの、連載が長続きしなかった。意味不明に見えるタイトルは、オランダの解剖...
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赤穂藩のクライシス・マネジメント

何事もなく過ぎていく毎日ほど幸せなものはない。しかし、緊急事態は突如発生する。元禄十四年(1701)3月14日、赤穂藩上屋敷に届いた知らせは、まさに青天の霹靂、家中の者は茫然自失となったことだろう。「赤穂藩主、江戸城中で刃傷」だというのだ。...
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のたりのたりかな

知らなかったが、オノマトペはフランス語だそうだ。擬音語や擬態語のことである。例えば「かはづ飛び込む水の音」とくれば、「ちゃぷん」だろう。芭蕉の有名なその句に擬音語は出てこないが、読む者には不思議と音が聞こえてくる。では蕪村ではどうだろうか。...
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過ぎたるものが三つあり

「治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」は、石田三成にはもったいないほどのすばらしい家臣と城をうたった俚謡である。家康バージョンもあって「家康に過ぎたるものが二つあり 唐(から)の頭(かしら)に本多平八」という。こちらはヤク...
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けちらかされても訴える

江戸時代最大の百姓一揆とは、どれだろうか。51名が処刑された津山藩の山中(さんちゅう)一揆(享保十一、1726)だろうか。一万六千人が蜂起した盛岡藩の三閉伊(さんへい)一揆(弘化四、1847)だろうか。今日は、老中罷免、藩主改易の処分となっ...
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三百年後も慕われる政治家に

「国難突破解散」だとか言って、もうすぐ衆議院総選挙が始まる。それよりもっと深刻な国難は、地方選挙で投票率が過去最低を更新していることだ。今月あった選挙では、柏原市、羽曳野市、城陽市、総社市、えびの市などがそうだ。18歳選挙権になろうが低下傾...
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時をかける旅人

現代の都市には個性がなく、同じようなビルばかりで、ほとんどリトル・トーキョー(小東京)だと思う。これに対し、日本的な情緒が町並みとして残る場所、小京都は限られている。現在、全国京都会議に加盟しているのは本家京都を含め46都市ある。しかし名乗...
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民族の誇りをかけた蜂起

北方領土返還交渉は、「ウラジーミル、ようこそ」と温泉旅館で歓待した安倍首相の努力にもかかわらず、さっぱり進んでいない。日露双方が領有権を主張しているが、本当に返還されるべきはアイヌ民族ではないか。我が国は移民国家ではないが、単一民族国家でも...
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俳諧を芸術にした男

俳句は世界一短い詩だと言われる。たった17文字で描かれる情景と、そこに込められた宇宙観。誰にでもできそうに思えて、なかなか秀句は作れない。奥の深い芸術なのである。本日は「東の芭蕉、西の鬼貫」と、あの松尾芭蕉と並び称された俳人、上島鬼貫(うえ...