江戸中期

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和泉伯太藩ここにあり

名族の流れを汲むことは武家の誇りであり,祖先の名を汚さないことが行動規範であった。事実かどうかは別として,誇らしい系図が作成され,その内容が信じられてきた。和泉市伯太町4丁目に「伯太營址碑」がある。付近に「旧伯太藩武家屋敷」もある。伯太(は...
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神様になった大名

神社の祭神は記紀神話の登場人物の場合が多い。天下統一の三英傑も神となっている。近代においては軍神が崇められた。今日紹介するのは藩祖を祀る神社である。高槻市野見町の野見神社の境内社として「永井神社」がある。この地は高槻城三の丸北郭にあたり,高...
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能勢妙見へと続く信仰の道

能勢の妙見さんへは能勢電鉄,ケーブルカー,リフトと乗り継いでやっとたどり着く。今でも多くの人で賑わっているが,妙見参りは江戸時代中頃からさかんになってきたようだ。昔は当然ながら歩いて登っていた。大阪府豊能郡豊能町吉川に「吉川旧妙見山参道鳥居...
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「池田義民さん」という歌

享保17年,西日本に甚大な被害をもたらした大飢饉が発生する。高松藩領の大内郡落合・松崎の両村でも連年の水害で困窮を極めていた。これを見かねた庄屋の池田彦七は,妻子と別れ単身で藩に年貢減免を直訴する。東かがわ市落合に池田神社があり,その境内に...
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琉球楽人の客死

琉球使節の江戸上りは,薩摩,長崎を経て下関から大坂まで海路であった。瀬戸内でも有数の港である鞆の浦にも使節の定宿があった。将軍・家斉の襲封を祝って寛政2年に琉球から慶賀使が遣わされた。ところが,一行の楽人である向道亨は病に倒れ鞆で亡くなる。...