江戸中期

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熊野へと向かった小野小町

わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて さそふ水あらば いなむとぞ思ふ 【小野小町】「このたび私は三河国の役人になりました。どうです? 私の任地を見に行きませんか」そう文屋康秀が誘ったのに対する返事が先の歌である。「三河なんですね。川には浮草、...
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逢ひにきたやら南やら

現代において心中は陰惨な事件に他ならないが、江戸時代ではロマンに化することもあった。もっとも人の死を思えば美しいも何もあったものではないが、身分を越えた道ならぬ恋は自由を求める人心の発露である。「曽根崎心中」「心中天網島」は言うまでもなく、...
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金環日食は天からの贈り物

ここ岡山では、前日の予報が曇りで期待が持てなかった。だが、起きてみると気持ちのよい青空で、金環日食ではなく部分日食がよく見えた。下の写真は日食グラスをデジカメにあてて撮影したものだ。朝は光がだんだん強くなっていくのが通常だが、今朝は光量が下...
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さつまいも先生の業績

さつまいも掘りは幼稚園行事の定番で、うちの子もお世話になった。スーパーでは見たこともないような大きな芋が出て来ると、親のほうが興奮している。収穫の喜びと自然への感謝は大昔から大切にされてきた姿勢だが、それを分かりやすく体験できる。子どもは天...
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八百屋お七物語の後日談

橋はフラットなものと当たり前に思っているから、眼鏡橋とか太鼓橋などのアーチ形の構造美には目を奪われてしまう。今日は東京目黒に大正年間まで美しい石造アーチ橋があったというお話である。少し前まで橋のたもとに「太鼓鰻」という老舗の鰻屋があったが、...
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大火災を忘れぬために

火事ほど恐ろしいものはない。日本史上最悪の火事が明暦の大火とするならば、明和の大火は次点に位置付けられるだろう。江戸市中の三分の一が灰燼に帰し、死者は1万4700余人を数えたという。明和9年2月29日のことであった。明和9年は「迷惑年」とし...
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非常の人、火花を飛ばす

本日放映のNHK『歴史秘話ヒストリア』は「痛快!江戸のお騒がせ男~天才・平賀源内の先走り人生~」だった。エンディングで親友・杉田玄白による追悼文が紹介された。源内がどのくらい騒がしかったかをよく伝えている。ああ、非常の人 非常の事を好み 行...
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市街地の名湧水

水の豊富な日本であっても、やはり水は貴重だ。飲み水となって命をつなぎ、水田に引かれて稲を育て、風呂に沸かされて体を温めてくれる。さらには、心も清めてくれるのだ。水の湧くところ、それはパワースポットなのだ。板橋区赤塚八丁目に「赤塚不動の滝」が...
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親に似た顔、自分に似た顔

人間の目鼻口の位置はそれほど変わらないのだから似ている人がいても不思議はない。あるいは、その人の表情やしぐさを自分や自分の身近な人に重ねてしまうこともあるだろう。川越市小仙波町一丁目の喜多院に「五百羅漢」がある。喜多院のウェブサイトには「川...
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象も泊まるほどの賑わい

宿場町だったことは今や貴重な観光資源である。当時を思わせる町並み、さらには本陣の建物でも現存していれば、かなりの‘売り’だ。中仙道の妻籠宿、会津西街道の大内宿などが観光地としてよく知られている。倉敷市真備町川辺に「川辺脇本陣跡」がある。本陣...