戦国

戦国

横堀の見事な菅公後裔の城

源平藤橘は四姓といい、古代以来の代表的な姓として知られる。だが、菅原姓も忘れてはならない。加賀百万石の前田氏は本姓菅原を自称したし、藤原系が圧倒的に強い公家社会でも菅原系は頑張っていた。地方武士団にも菅原氏の後裔を称する者がいた。美作菅家党...
戦国

V字の大堀切で侵入を阻む

「呰部」は岡山県の難読地名として知られる。呰部郷として平安期の「和名抄」に登場し、中世は山科家領であった。古くから交通の要衝であり、上呰部、下呰部となった現在も、中国自動車道が通過している。この地に巨大な山城があるというので訪ねることにした...
戦国

地形改変が山城の歴史を語る

ブログ開設以来の総アクセス数が88万を突破しました。これもひとえにご覧いただきました皆様のおかげと心より御礼申し上げます。史跡巡礼の魅力を伝えるため、今後も精進してまいりますので、何卒よろしくお願いいたします。土砂崩れなどの災害が発生した場...
戦国

播磨守護山名氏の栄光

戦国時代は領土争い。ロシアとウクライナの戦争もほとんど膠着状態。ここに至っては朝鮮戦争のように「凍結された戦争」になるのでは、と囁かれている。播磨は赤松氏の領国として揺るがないかと思われたが、嘉吉の乱で但馬の山名氏に奪われてしまう。これを応...
戦国

祝・毛利元就郡山城入城500年、毛利隆元生誕500年

今年は大永三年(1523)に、毛利元就が郡山城に入城して500年、長男隆元が生まれて500年というメモリアルイヤーである。近代国家への移行を長州藩が主導したことを思えば、藩祖元就が権力を掌握するとともに世継ぎに恵まれた事に、我が国の起点の一...
戦国

松田一族の底力

平成29年に「全国松田サミット」という松田氏一族の同族会が神奈川県足柄上郡松田町で開催された。藤原秀郷流の波多野氏が松田郷を所領としたことが、松田氏のおこりだという。鎌倉幕府討伐で軍功のあった松田元国が、備前国御野郡伊福郷と津高郡津島郷を領...
戦国

赤松氏の再興を支えた地侍

「紀行歴史遊学」開設以来の総アクセス数が86万を突破しました。これもひとえに皆様のおかげと深謝し、今後もお役に立てるよう精進いたします。何卒宜しくお願い致します。平清盛は反平家の動きを見せた藤原成親に向かって「恩を知らざるをば畜生とこそいへ...
戦国

松田氏の無念と歯の痛み

痛みに弱いのだが、歯の痛みは特につらい。何をしていても気になるし、気分まで滅入ってしまう。以前、休み前の晩に奥歯が痛み出したので、「このまま無為に休日を過ごすわけにいかぬ」と休日診療所を訪ねた。するとあら不思議、当番医師の的確な処置で嘘のよ...
戦国

亀寿山城を制すれば備後を制す

昨年起きたクリミア大橋爆破は、「敵から遮断しなければならない物流ルートだったので、適切な措置が取られた」と、ウクライナ当局が関与を認めた。敵の移動や補給を断つこと。これは戦争の定石である。中世日本の山城もまた同じ。物流ルートに睨みを利かすこ...
戦国

麓に大川巻き無双の要害也

本ブログ開設以来の総記事数が2000本を達成しました。これもひとえに皆様のおかげと感謝し、これからの精進を誓います。今後とも何卒よろしくお願いいたします。「その昔、うちには城があった。」と言う人がいた。城主だったのーっ!?と驚いたことを思い...