戦国

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ねねの実家が備後で持っていた山城⁉

木下藤吉郎の嫁さんを何と呼ぶか。そんなの常識に思えて、これが意外に難しい。今やってる大河「豊臣兄弟!」では「寧々(ねね)」としている。「真田丸」では「寧(ねい)」、「軍師官兵衛」では「おね」であった。その北政所、高台院ゆかりの山城が尾張では...
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恍として仙境に入るが如し

戦いに敗れた中世山城の城主が生きる道は幾つかある。味方の陣営に退くか、敵方に帰順するか。それとも、出奔して落武者になるか。出家あるいは帰農して敵意を示さない方法もある。おそらく帰農したのであろう、城主の子孫が今も城の周辺に暮らしているケース...
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尼子氏を遠く播磨で偲ぶ

尼子氏は16世紀半ば、晴久の代に最大版図を誇った。出雲を本拠地としながら、遠く播磨へと進出していたのだ。そこまで大きくなっても生き残れないのが戦国の現実。消え失せた戦国大名、尼子氏を偲んで播磨南部の山城を訪ねた。赤穂市高野(こうの)に「尼子...
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播備国境を監視した山城

隠岐へと向かう後鳥羽上皇の遷幸ルートはけっこうな謎で、分からないだけに各地に伝説が生まれているが、私が有力視しているのは「嗚呼、承久の乱800年!」で紹介した備前東部北上ルートである。上皇は播備国境を「才ヶ峠」で越えたという。今は枯葉に埋も...
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四百年を経ても続く主従の絆

傘を刀に見立てて斬り合うように踊る「大島の傘踊り」という盆踊りがある。笠岡市大島地区に伝わり、岡山県から重要無形民俗文化財に指定されている。戦国領主であった細川通董(みちただ)公の百年忌墓前祭に、大島村から参列した遺臣らが踊りを奉納していた...
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三重堀切の断面を見よう!

「扇の的」は『平家物語』屈指の名場面である。決定的瞬間を高輝度画面でスローモーション再生するような映像美が感じられる。巻第十一「那須与一」を読んでみよう。与一鏑(かぶら)を取(っ)て番(つが)ひ、よ(っ)引いてひやうと放つ。小兵(こひやう)...
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大きな堀切に守られた小さな砦

歴史地理学を繙けば、歴史的事象が「交通」に大きく制約されていることが分かる。今のドローンのように自由自在に攻撃できるわけではない。関ヶ原なり川中島なり、決戦場所に選ばれたのは理由がある。岡山県のうち備中地域の交通は、現代の国道180号とか高...
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主郭と土塁と堀切と

「酷道」や「険道」と呼ばれる国道や県道がある。このブログでも「1.5mの険道をゆく」で岡山県道455号小山桑上線をレポートした。普段は広い道ばかり快走しているから、道が狭くなると二進も三進もいかなくなったらと不安で仕方ない。しかし考えてみれ...
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岩山古城跡アリ城主不知

岡山県道268号白尾塩生(しろおしおなす)線は全線走破できない道として知られている。鷲羽山スカイラインや瀬戸中央自動車道の柳田(やないだ)トンネルと交差するように見えて、つながっていない。上り下りともに行き止まりになっているのだ。話題にした...
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築城したのは三村氏か庄氏か

いろいろな場面で争奪戦が行われている。スポーツでもそうだし、人材やポストでもそうだ。勝ち抜くためには攻めの姿勢が欠かせない。努力を惜しんではならない。漫然と胡坐をかいているうちに、欲しかったものはすべて持って行かれるだろう。自分の周りを回っ...