東征する日本武尊が三浦半島から房総半島に渡ろうとした時、海が荒れて船が進まなくなった。夫が困るのを見かねた妻の弟橘媛は、海に身を投じて海神の怒りを鎮めたという。尊は無事に海を渡り、媛の形見も海を渡ったようだ。『古事記』中巻景行天皇段より
故(かれ)七日ありて後に、其の后の御櫛、海辺に依りたりき。乃ち其の櫛を取りて、御陵を作りて治め置きき。
茂原市本納の橘樹(たちばな)神社は媛の墳墓の地だと伝わる。君津市鹿野山(かのうざん)の白鳥神社境内にある弟橘比売神社には櫛が掲げられている。櫛は媛の霊魂を宿して上総の地で祀られているのだ。


岡山市東区中川町に「正木山城」があり、百間川の河川敷に「笄(こうがい)の井戸」がある。
この地は操山山塊の東端で、芥子山との間にある隘路を押さえるのに好都合だ。頂部は平坦だが特筆すべきほどの遺構は見当たらない。山の北麓に説明板があるので読んでみよう。
百間川河口より6.5Kmのこの地には、高さ56mの正木山がある。頂上には、天正(1573~1592)の頃、正木大膳正康の居た城があったと伝えられる。
宇喜田直家に攻められ落城の前日、大膳の内室玉尾の方は、姫君初瀬を抱いて馬に乗り、正木山をななめにかけおりて、井戸に身を投げた。
後に、この二人を供養していたところ井戸の水面に、くし・こうがいが浮かびあがった。この井戸を『笄の井戸』という。
道を渡って歩道を南へ歩くと、柵に囲まれた井戸が見える。さらに南から河川敷に下りて近付いてみよう。井戸に取り付けられている説明には、次のように記されている。
笄(こうがい)の井戸
笄とは、女性の髷(まげ)に横に挿す一種の髪飾りの事です。
戦国の昔、この井戸の西手にある山頂に正木大膳の居城がありました。
お城が敵陣に攻め込まれ、終に落城の時を迎えたとき、大膳の妻はこの井戸に身を投じたのです。時に昔日七月十五日のことでした。
以来、妻はなかなか成仏できず、毎年のように七月十五日には井戸の底から身に付けていた笄がプカリと水面に浮かんだという口碑(言い伝え)から「笄の井」と呼ばれています。
また、「その昔、正木兄弟この井に投死す」との説もあり、「正木の井」とも言われています。
まさに戦国悲話である。ただし井戸に笄が出現したタイミングが異なっている。供養して浮かんだのか、成仏できないから浮かんだのか。浮かばれぬ魂が僧の供養に感応して櫛・笄を現すという仏教説話のようであり、成仏させてと笄で訴えた幽霊伝説にも思える。古い記録ではどうなのだろうか。
江戸中期の資料集『吉備温故秘録』巻之三十九城趾下一「上道郡」には、次のように記されている。
正木山城 中川村
里民の説に、正木氏の居城。此山の麓に井あり、これを正木の井といふ。正木兄弟、此井に入て死すといふ。時代不詳。
岡但馬居城、宇喜多直家の臣也。直家沼の城へ移りし後、此処古への城址なれば、幸の事とて、城を築き、但馬にあたへしが、天正八年、備中押のためとして、津高郡勝尾村船山城へ、但馬は移りにけり。其後当城いかゞなりしや。未だつまびらかならず。
驚くべきことに、井戸に身投げしたのは奥方と娘ではなく正木兄弟だという。しかも時代は詳らかでない。天正の頃城主だったのは宇喜多家中の岡但馬であったが、勝尾山城へと移ったとのことだ。他の記録にも当たってみよう。
江戸後期の地誌『東備郡村志』巻之二上道郡可知郷【中川】には、次のように記されている。
▲正木山城址。小子其地をみるに、城跡にあらず宅跡なるべし。世に正木大膳居城と云ふは謬也。正木大膳は房州里見家の長臣にて智仁あり、最無類の壮力なり。其名天下に顕る。里見家亡て芳烈公に御預け人となる。本だ此城に居ると云ふことを聞かず。考に直家の臣寺尾左衛門(禄七百三十石)が居第なり。彼が弟を七兵衛と云ひ、兄弟ともに力強し。是に依て訛て正木と云ふなるべし。又岡山馬守居城とも云ふ。城東の麓に井あり。里民云。正木兄弟此井に投じて死すと。毎年七月十五日、岩間寺の僧来て読経すると也。
正木大膳居城は誤りだと断言し、宇喜多家中の寺尾左衛門の居宅があったとしている。ならば正木大膳とは何者か。里見家の家臣だというが、岡山と何の関係があるのか調べてみよう。
名前は正木時茂(ときしげ)。大膳亮(だいぜんのすけ)。安房里見氏第7代当主義頼の次男で、上総大多喜城の重臣正木氏の名跡を継いだ。第9代当主忠義に仕え、慶長十九年(1614)に忠義が安房を没収され伯耆倉吉に移封されると同行した。元和八年(1622)に忠義が没すると、時茂は鳥取藩主池田光政に預けられ寛永七年(1630)に没した。
光政が岡山に国替となったのは寛永九年(1632)だから、もしかすると時茂の関係者が岡山に移住したことが伝説生成の契機となっているのかもしれない。正木氏が本拠としていた下総には橘樹神社がある。備前の正木山、下総の有力国衆正木氏、下総の橘樹神社。これらをつないでいるのは「櫛」のようでもあり、関係ないようにも思える。河川敷の井戸を覗いてみたが、水面には何も浮かんでいなかった。


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