上道平野のマンパワー

冬場は古墳造りの季節である。そりゃそうだろう。大がかりな土木工事は農繁期にはできない。やはり手が空いて熱中症リスクの低い冬場がいい。ピラミッド建造に従事した労働者にビールとパンが支給されたそうだから、古墳造りにも何らかの対価が支給されたのではないか。

岡山市中区沢田と円山の境、操山山塊の尾根上に「八畳岩古墳(操山19号墳)」がある。

石舞台古墳を歴史教科書で見た時、こんな石組みのお墓があるんだなと思っていたが、封土が失われているとのことだった。おかげで横穴式石室の構造がよく分かる。八畳岩古墳もまた然り。操山の石舞台と呼ばれる所以である。説明板を読んでみよう。

知ってる? 八畳岩古墳 岡山市・岡山森林管理署
操山山塊の主稜線上に築かれている横穴式石室墳の一つで、墳丘の大部が流失しているが、本来は直径15m・高さ3m程の本格的な円墳であったと想定される。遺骸を葬った石室は左袖形で全長9mを測り、遺骸を安置した玄室が長さ5.5m・幅1.6m・高さ1.6mであり、中型規模といえる。築造時期は6世紀後半に推定され、山塊の北に住んでいた当時の有力者の家族墓と考えられる。石室の天井石に巨大な石材を使用しており、露出したその大きさが古墳の呼称となった。

石舞台は西暦626年に亡くなった蘇我馬子の墓とされるが、こちらは6世紀後半の地元有力者の家族墓らしい。石舞台のような巨石ではないが、積み上げるのに大変な労力が必要であろうことは容易に想像できる。

稜線をこのまま東へ進んで、次の古墳を訪れよう。

岡山市中区円山(まるやま)に「二股(ふたまた)古墳(操山24号墳)」がある。「双股」とも書く。

中に入ると、驚くべきことに玄室が二方向に分岐している。説明板を読んでみよう。

知ってる? 二股古墳 岡山市・岡山森林管理署
山塊の谷奥の山腹に小型の横穴式石室墳7基からなる小古墳群が築かれていて、古墳群の盟主であるこの古墳は、遺骸を安置する玄室が二室に別れていることから二股古墳と呼ばれている。墳丘は山寄せ造り(斜面への築造)で直径10m・高さ3m程の円墳であったと想定され、石室は左(主)室が長さ5m・幅1.2m・高さ1.7m、石(脇)室が長さ4.5m・幅1.2m・高さ1.3mを測る。
古墳群は築造時期が6世紀後葉から7世紀初頭に推定され、当時の有力家族(大家族)の構成を反映するものとして注目されている。

家族の追葬が必要となって二室目が設けられたのだろうか。前後に連なる複室構造は例があるが、Y字型はなかなか珍しい。

稜線を引き返して北側の別峰に向かおう。

岡山市中区原尾島4丁目と沢田の境に「萩の塚古墳(操山9号墳)」がある。

広い石室が特徴的で、しっかりした石組みを見ることができる。説明板を読んでみよう。

知ってる? 萩の塚古墳 岡山市・岡山森林管理署
操山山頂から東に延びた稜線の先端に築かれている円墳で、現状では小振り墳丘であるが、本来は直径10m、高さ2.5m程の規模であったと想定される。遺骸を葬る施設は左袖形の横穴式石室で、全長8.2m・幅1.9m・高さ1.9mを測り、中型の石室では大振りの規模といえる。築造時期は6世紀後半に推定でき、操山北山麓に住んでいた当時の有力者の家族墓と考えられる。

天井石が煤けているのは、此処で長年茶会が行われていたためである。入口には「火の用心」と書かれていた。古い写真を見ると確かにそうだ。

ここ操山には他にも多くの横穴式石室が存在する。これだけの石室を築造するマンパワーは、操山北方に広がる上道平野の穀倉地帯でも発揮されたに違いない。生産力の高さは古墳群の存在が如実に示している。この地は後に備前国の中心地となっていくのであった。

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