身体の中に虫がいると聞くと、ゲッ、寄生虫かと思うが、昔の人々は「三尸(さんし)」という虫がいると信じていたらしい。この虫、庚申の日の晩に眠る人の身体を抜け出して、天帝に「うちの旦那ってさ、こんな悪いことしてましたぜ」と告げ口をして寿命を縮めさせるという、とんでもない奴なのだ。
それを阻止するため庚申の日の晩には眠らない、という風習が江戸時代に広まった。背景には道教の影響があるというが、徹夜で呑んでワイワイガヤガヤする庶民の娯楽だったようだ。

岡山市北区新庄上と総社市赤浜の境に「庚申(こうしん)山」がある。
絵地図にはこの石段の左手に「通夜堂跡」が示されているから、ここでも夜更かしが楽しまれていたのかもしれない。

奥へと進むと毘沙門天の摩崖仏がある。踏みつけられている邪鬼は、三尸が天帝に告げ口する私たちのよこしまな心を象徴しているのだろう。ああ、どうか踏みつけてください。そして、告げ口にも恥じない美しく正しい心だけ残してください。
昔の人もよりよい生き方を求めてやまなかったのだろう。説明板を読んでみよう。
庚申山の由来
昔この山には、積善寺という多くの堂塔僧坊をもち、楼門を構えた大寺があったが天正10年(1582年)高松城水攻の時、毛利の勇将吉川元春がここを陣所としたため、その兵火によってことごとく焼失したと伝えられている。
その後度々復興を企てられたが、元禄4年(1691年)に至り本隆寺の住持日正が新たに堂宇を建立し、大梵天王、帝釈天王、及び鬼子母神を奉祀して、庚申祭を行った。それ以来、霊験あらたかな日本三大庚申の一として広く世に知られるに至ったのである。
この山の眺望は眼下に全国第4位の造山古墳があり、東方には吉備津神社の鎮座する吉備の中山が連なり、遠く児島の金甲山一帯が展望される。また、足守川を隔てて高松城水攻の跡を俯瞰することができる。
高松商工会
高松観光協会
ポイントが二つある。高松城水攻めで吉川元春が陣所としたことである。江田山に陣する兄の小早川隆景とともに秀吉に対峙していた。歴史が動く瞬間に立ち会っていたのだが、結局、毛利氏として高松城を救援することはできなかった。
もうひとつはのポイントは、日本三大庚申の一つだということだ。他の二つはどこかと検索すると、「日本三庚申」として京都の八坂庚申堂(金剛寺)、大阪の四天王寺庚申堂、そして江戸にあった入谷庚申堂(喜宝院)が表示された。
備中の庚申山が我が国の三都にある庚申に対抗する気構えは、気宇壮大であり夜郎自大でもある。同じ夜更かしを楽しむなら、それくらいの気持ちがあっていい。三大〇〇など認定機関があるわけでなく言ったもん勝ちだ。この紀行歴史遊学も日本三大歴史ブログの一つであることを宣言しておこう。


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