桜田門外の変は政治テロ以外の何物でもないが、明治維新へと向かう時流の起点として見られている。幕府首脳を暗殺し政治権威を傷付けたという意味では倒幕の先駆けと言えるだろう。確かに吉田松陰など維新の先哲を弾圧したので分が悪い井伊直弼だが、考えてみてほしい。明治新政府は世界に開かれ、列強に伍する政策を推進したではないか。開国という先駆的英断をした井伊直弼の指導力は、もっと高く評価されてよい。
いっぽう、テロを主導した関鉄之助は、明治になって従四位を贈られ、大沢たかおが主演して映画にもなった。正義はどちらにあるのか。

光市立野(たての)の旧難波家に「向山(こうざん)文庫」がある。市の史跡に指定されている。
黄土色の壁が美しいが、かなり傷んでいるように見受けられる。この史跡には、どのような意義があるのだろうか。説明板を読んでみよう。
光市指定文化財(史跡)
向山文庫
昭和五十一年七月十四日指定
向山文庫は、難波覃庵(たんあん)(1811~1888)によって建てられた、光市最初の図書館である。
江戸時代、この立野村は、長州藩寄組の清水家知行地であり、覃庵は、次席家老を務めていた。覃庵は、文久2年(1862)、邸内に私塾「養義場」を創設し、翌年には長徳寺境内に郷校「慕議会」を開設するなど子弟の教育に努め、自家所蔵の書籍を閲覧させていた。
その後、清水家の蔵書も含めて閲覧させるため、明治16年(1883)、邸宅内に「向山文庫」と名付けた2間××3.5間(約23㎡)の土蔵を新たに建てた。
「向山」は、かつての主君である清水家第12代当主、清水親知の法名「仁沢院殿向山義雄」に由来するという。親知は、元治元年(1864)の「禁門の変」の後、責任を問われて22歳の若さで自刃させられた。
玄関上方に掲げられている「向山文庫」の額は、三条実美の書から篆刻されている。
平成二十八年三月
光市教育委員会

「慕議会」は「慕義会」が正しい。三条実美の書には気品を感じる。実美は七卿落ちの一人で、長州には縁の深い公家である。文庫を建てた難波覃庵は、あの備中高松城水攻めで自刃した清水宗治の弟、難波宗忠の家系である。長州藩毛利家の重臣として取り立てられた清水家に代々仕えて幕末に至った。

向山文庫の北、橋を渡ったところに明治38年4月に建てられた「覃庵難波翁碑」がある。同45年に正五位が贈られた。「枢密院議長正二位大勲位侯爵伊藤博文篆額」「宮中顧問官正三位勲二等男爵楫取素彦撰」「正七位勲七等高島張輔書」とある。高島張輔(ちょうすけ)は漢詩人で書画家。宮内省図書助として大正改元時に「永安」という案を出した人物である。

旧難波家の門である。明治21年に覃庵が亡くなった後は、孫の作之進が継いだ。作之進は大正9年に衆議院議員となるが、同12年に子の大助が虎ノ門事件を起こすと、議員を辞職し自宅を竹の柵で閉ざして蟄居した。勤皇家を自任する作之進にとって戦慄の出来事であり、自分を責める以外に為す術があっただろうか。その心中や、察するに余りある。
虎ノ門は、桜田門と桜田通りで結ばれた交差点である。大正12年(1923)12月27日、帝国臣民を震撼させる大事件が起きた。帝国議会開院式に臨もうと車で移動していた摂政宮を、難波大助が狙撃したのである。大助が使ったのはステッキ銃という珍しい武器だったが、これには次のような由来があるという。河上肇『思ひ出(断片の部・抄出)』(日本民主主義文化連盟、昭和21年)より
家はその地方の旧家で大地主であり、当時彼の父は衆議院議員に選出されてゐた。故伊藤博文公と古くから近い関係のあった家で(伊藤公も亦熊毛の産である)、家の什器の一つに往年同公が英京ロンドンで手に入れたといふピストル仕掛けのステツキがあつた。さすがに巧妙に出来てゐて、外形はどう見ても普通のステツキと少しもはなかつたが、折り曲げて見ると、中には極めて精巧なピストルが装置されてあつた。大助は猟を始めたいからと称して、その使用を父に請うた。かねてから一室にばかり蟄居してゐて、何だか物を考へてゐるらしい様子を見て、あれでは健康を害するであらうと気遣つてゐた父は、大助が心機一転したらしいのを見て、喜んでその申出を許した。で大助は公然火薬購入の免許を得、そのピストル銃を持つて山にはひり、長い間射撃の練習をした。そして漸く自信を得たので、今度は東京の情勢や地理などを研究するために、暫く東京に出てゐた。
難波覃庵と伊藤博文とのゆかりがこのような大事件に結びつくとは、悲劇的なあまりに悲劇的な運命である。難波家の位置した周防村では五日間の歌舞音曲停止、村長、小学校長が引責辞職するに至った。何もそこまで…とは思うが、現代のSNSバッシングに相通じるメンタリティを感じ、薄ら寒い思いさえする。
テロリスト難波大助が関鉄之助のように顕彰されることはないだろう。だが、安倍元首相暗殺犯の生い立ちに同情する声があるように、おそらく大助にも同情の余地はあるのだろう。それでもやはり、暴力にロマンを持ち込んではならないのである。


コメント