並行線敷設で失われた鉄路

気動車がカタンカタンと走る横を、並行して走る車がサァーっと追い越してゆく。時短とかタイパもいいけど、景色を眺めながらぼんやりとするのもまた一興。呑み鉄を楽しむスローライフがしてみたいものだ。

今からは想像しにくいが、鉄道が最速の移動手段だった時代、鉄道の所有や敷設は国際問題にもなった。我が国の運命を大きく変えてしまった満州事変。関東軍がいらぬことをしたのは確かだが、起こるべくして起きている側面もある。その要因が満鉄並行線問題であった。

日露戦争で我が国は東清鉄道の一部を手に入れて南満州鉄道を経営し、それに関して満州に主権を有する清国と次のような取り決めを交わした。

満洲ニ関スル日清条約附属取極
三、清国政府は南満州鉄道の利益を保護するの目的を以て該鉄道を未だ回収せざる以前に於ては該鉄道附近に之と併行する幹線又は該鉄道の利益を害すべき枝線を敷設せざることを承諾す

そうはおっしゃいましても、鉄道は大きな利益をもたらすので中国側もギリギリを攻めてくる。「この鉄道は並行してますよね」「いえいえ離れています」「満鉄の利益を害してますよね」「うちも利益を出さねば経営できませんからね」この対立を清算しようとしたのが満州事変である。

話を我が国の現代に戻そう。整備新幹線が完成すると並行在来線はJRから経営が切り離され、直通の特急列車の廃止や運賃上昇など不便になるケースがままある。鉄道並行線問題は今も昔も大問題なのだ。

この道は西大寺鉄道の線路跡に整備された遊歩道である。少々見にくいが右手にJR赤穂線の架線が見える。どちらも西大寺と岡山を結ぶ鉄道で、まさに並行線である。昭和37年9月1日に赤穂線が全通すると、同年同月7日に西大寺鉄道は廃止された。この時、経営母体である両備バスは国に対して粘り強く交渉し、約7,300万円の補償を勝ち取ったという。

岡山市東区西大寺松崎に「廣谷駅跡」がある。開設当初は松崎駅という名称だった。

松崎駅は山陰本線の松崎駅と紛らわしいことから、大正3年に東隣の地名により広谷駅と改称した。説明板を読んでみよう。

西大寺鐵道(けえべん)
廣谷駅跡
昔、この付近に西大寺鉄道廣谷駅の駅舎が建っていました。西大寺鉄道は明治44年(1911)から昭和37年(1962)まで、西大寺市駅~後楽園駅間を11.4kmにわたって走っていた鉄道です。地域の人々の身近な足として活躍し、「けえべん(軽便鉄道)」と呼ばれて親しまれていました。
看板設置者:岡山市東区役所・岡山市立旭東公民館

遊歩道を西へと進むと、貴重な鉄道遺構を見ることができる。

岡山市東区大多羅町に「旧西大寺鉄道橋台跡」がある。

線路らしき幅の構造物がある。背後にある説明板を読んでみよう。

けえべん(西大寺鉄道)って知ってる?
明治44年(1911)から昭和37年(1962)まで、西大寺市駅(現西大寺バスセンター)から後楽園駅(現夢二郷土美術館)までの11.4kmにわたって、西大寺鉄道(現在の両備ホールディングス株式会社の前身)が走っていました。地域の人々の身近な足として活躍し、「けえべん(軽便鉄道)」と呼ばれて親しまれていました。
この用水路の中にあるのは、当時の橋台(橋梁の両端にある、橋梁と土台との接続部分)の跡です。
この4本のボルトがレールを固定していた痕跡です。
岡山市立旭東公民館

西大寺鉄道が廃止されて60年以上の歳月を経て、かつてを偲ぶことのできる遺構はごく少ない。ただ滑らかに続く遊歩道だけが、鉄路があったことを想起させるのである。

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