あまんじゃこと石の伝説

『常陸国風土記』に登場する巨人は「上古(いにしえ)人あり。体は極めて長大(たけたか)く…」と説明されるが名前がない。それでは面白くないと思ったか、いつのまにかダイダラボウと呼ばれるようになった。

先日、「高きかも」と言って気持ちよく背伸びした巨人の話をした。『播磨国風土記』に登場するが、「大人(おほひと)」とあるのみで名前がない。これでは寂しいとやはり名前が付けられているようだ。行ってみよう。

兵庫県多可郡多可町中区曽我井の国道427号沿いに「あまんじゃこの腰掛石」がある。

アマノジャクは毘沙門天に踏みつけられている邪鬼なのだが、民話に登場すると、いらないことをするが憎めない奴に描かれる。この腰掛岩は歴史上の貴人ではなく、架空生物が座ったという珍しいものである。説明板を読んでみよう。

あまんじゃこの腰掛石
『あまんじゃこ』とは、「播磨国風土記」にでてくる大男。
あまりに背が高くて頭が天につかえるので腰をかがめて歩いていた。
南の海から北国へ行く途中、多可町あたりに来たとき、急に空が高くなり背伸びをすることができた。喜んだ『あまんじゃこ』は「ここは空(天)が高いのう」と叫んだ。それが「多可郡(タカノコオリ)」の語源となったと言われている。
ある夜『あまんじゃこ』は、田植えの終わった田んぼに豊作を祈願する祭りをして歩いた。加美区鳥羽から中区曽我井まできて、石に腰掛けていっぷくをしていたら夜が明けてしまった。だから「田祭り」と言う行事は曽我井以北でしか行われないと言い伝えている。
そのとき腰掛けた石が「あまんじゃこの腰掛石」として残っている。
多可町には、ほかにも数々のあまんじゃこ伝説が残っている。

頭が天につかえる巨人が座ったにしては小さく見えるが、それはいいとしよう。あまんじゃこは加美区鳥羽から、豊作祈願の祭りを指導しながら国道427号を南に向かい、西脇市に入る手前で石に腰掛けて休憩した。

多可町では行われているが西脇市にはない「田祭り」という行事があったのだろう。「同じ多可郡だったのに、この違いは何なのだろうね?」という素朴な疑問に答えたのが、あまんじゃこの伝説だったのだ。

同町中区奥中に「奥中の長石」がある。

あまんじゃこらしき肖像があるが、いったい何をしているのだろうか。説明板を読んでみよう。

奥中の長石
『あまんじゃこ』とは、「播磨国風土記」にでてくる大男。空が今よりも「低かった頃、ひとまたぎで三里歩き天にも届く大男は、腰をかがめなければ歩けなかった。明石のある里から北国へ行く途中、多可町のあたりに来たとき急に空が高くなり背伸びをすることができた。喜んだ『あまんじゃこ』はここは空が高いぞ。たかじゃ、高いのう。高いのう。」と叫んだ。それが「多可郡」の語源となったといわれている。
『あまんじゃこ』は、めっぽういたずら好きで、人をびっくりさせるのが楽しみだったそうで、中区中村町北の丘山と奥中南の太子山を一晩のうちに取り除いて人をびっくりさせようとした。長い石の棒を天秤にして山を持ち上げようとしたけれども、山はびくともせず、ポキーンと石の棒が折れてしまい、うまくいかなかった。そのとき捨てられた石の棒が奥中の長石とし残っている。
ほかにも塔の石や巨大架け橋、あまんじゃこ三山などいろんな伝説がこの多可町に残っている。

そりゃ見慣れた山がなくなっていたらびっくりするだろう。

上が丘山で下が太子山である。これを持ち上げるにしては石が細すぎる。深く考えずにいらないことをしでかすのは、あまんじゃこらしい。以前の記事「笠形山に登りながら考えたこと」では、笠形山から妙見山に橋を架けようとして失敗した話を紹介した。

私たちは誰もが苦しみの根源である三つの煩悩を抱えている。一つは執着、必要以上に求める欲だ。一つは憎悪、必要以上に発する怒りだ。一つは無知、必要な判断さえできない愚かさだ。そんな煩悩が邪鬼として踏みつけられている。

あまんじゃこは伝説の巨人に結び付けられているが、本当は私たちそのものではないか。やるべきことを途中やめにして言い訳するとか、やらなくてよいことに力を入れて頑張りをアピールするとか、浅はかな考えは踏みつけてもらったほうがいい。巨人のあまんじゃこが私たちに、「失敗に学べよ」と天から語り掛けている。

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