カナソ・ハイニノ国の遺跡

1980年代にはミニ独立国ブームが全国で盛り上がっていた。井上ひさし『吉里吉里人』に登場する吉里吉里国が、本当に独立宣言を出したことがきっかけとなったようだ。様々ある独立国の中でも「カナソ・ハイニノ国」は異国情緒あふれる国名で記憶に残っている。兵庫県多可郡中町の商工会青年部有志が国鉄鍛冶屋線存続を目的に1984年に活動を始めた。国名は駅名の読みの頭文字を並べたものらしい。今回「カ」から始まる駅を訪ねたのでレポートする。

兵庫県多可郡多可町中区鍛冶屋に鍛冶屋線の終着駅「鍛冶屋駅跡」がある。現在は鍛冶屋線記念館となり、キハ30系が静態保存されている。気動車で普通車という一般的な汽車である。

この先の線路跡は「ほっぽの道」という遊歩道として整備されている。説明板を読んでみよう。

鍛冶屋駅跡
この場所は、旧国鉄鍛冶屋線の終着駅「鍛冶屋駅」のあったところです。この駅は、大正12年開業され、平成2年鍛冶屋線とともにおしまれつつ廃止されました。
かつての鍛冶屋駅は、木材や播州織り、山田錦などこの地方の特産品の出荷駅としてにぎわいました。
駅には広い材木置場や引き込み線、給水塔や車庫などが置かれ駅前には運送会社やバスターミナルがありました。
この場所は、かつての鍛冶屋駅を利用し、住民の人々の憩いの場として新しく整備されたものです。

木材はスギ・ヒノキ(加美区)、播州織は先染めの綿織物で、ひと頃はガチャマン景気と呼ばれる活況を呈した特産品である。山田錦は言わずと知れた酒造好適米の王様。やがてトラック輸送に切り替えられた。

鍛冶屋駅を出発した汽車は杉原川(写真三枚目)を渡り、中町(当時)の中心駅中村町駅へと向かう。その後、曽我井駅、羽安駅(ここから西脇市)、市原駅を経て、西脇市の中心駅西脇駅に着き、野村駅(現西脇市駅)で加古川線とつながる。汽車はそのまま加古川駅へと向かっていた。

西脇-加古川間は乗客が多かったが、鍛冶屋-西脇間の業績は厳しかったらしい。そこで立国した「カナソ・ハイニノ国」は国民に月1回の鍛冶屋線乗車義務を課したものの、残念無念、1990年に廃止の憂き目に遭うこととなる。

思えば加古川線の支線は次々と廃止された。1984年に高砂線が廃止、85年に北条線、三木線が三セク化、2008年に三木鉄道が廃止、北条鉄道ひとり頑張っている。

そして今、加古川線のうち西脇市-谷川間の存続が議論されている。 輸送密度(1日1kmあたりの乗客)は345人/日であり、鍛冶屋線廃止時は1,961人/日だったというから非常に厳しい。もっとも芸備線の東城-備後落合間は25人/日というから、まだいいほうなのか。

大阪万博期間中は増便して利便性を高める実証実験を行ったが、結果はそれほど芳しいものではなかったようだ。しかし、阪神大震災で神戸線が不通となった際に迂回ルートとして機能したことがあり、私もそのおかげで大阪に出ることができた。存続の価値は確かにある。

鍛冶屋線市原駅記念館に展示されている時刻表によれば、加古川駅行きは1日13本出ていたようだ。今、鍛冶屋バス停からも平日13本のバスが西脇市駅に向かって走っている。バスで代替できたらそれでよいのか。観光資源として価値の大きい鉄道を残すのか。赤字の補填に税金を投入するのか、黒字路線から回すのか。議論の行方はどうなるのだろうか。

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