江戸前期

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名のみ残らば先駆けと知れ

「力及ばずして倒れることを辞さないが、力を尽くさずして挫けることを拒否する」1969年東大安田講堂に立てこもり敗北した全共闘の学生は、このように壁に書いていた。有名な「連帯を求めて孤立を恐れず」に続くフレーズである。今の学生に革命運動が起こ...
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天下一の歌舞伎役者

今月5日に歌舞伎役者の十八代目中村勘三郎が亡くなった。私は歌舞伎ではなく『元禄繚乱』などテレビで活躍する姿ならよく知っている。だから勘九郎のほうがピンと来るのだが、名優として今後に期待されていただけに誠に惜しい限りである。ラジオで聞いたこと...
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名門里見氏の終焉

高知県に「高知龍馬空港」がある。正式には「高知空港」なのだが、愛称として坂本龍馬の名前を組み込んでいる。略称が愛称となるのはよくあるが、わざわざ画数の多い二文字を入れたところがユニークだ。確かに「高知といえば龍馬ぜよ」とPRとして効果がある...
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浮世絵元祖の復権

平成16年は徳川家光の生誕400年ということで埼玉県川越市ではイベントが行われていた。家光は川越地方にたびたび来遊したことがあるそうで、この地とのゆかりが深い。私が訪れた時、川越市立博物館で「仙波東照宮『三十六歌仙額』展」が行われていた。こ...
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地名変更で本当に幸福になった

名は体を表す。分かりやすいのは「京都府」で、「京」も「都」も「府」も「みやこ」の意味だ。さすがは千年の都である。それに比べたら「東京都」なんぞ歴史が浅い。ましてや「大阪都」は…。僭称のそしりを受けないことを願っておこう。福井市大手3丁目の福...
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夕顔とヘチマの伸びた小さな家

『奥の細道』は道の奥だから「みちのく」で、東北地方にばかり目を奪われていた。今日は越前の細道である。芭蕉の出発地については以前に「奥の細道の起点」としてレポートしたことがある。ここを元禄2年(1689)3月27日に出立して東北地方に向かい、...
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徳川家ゆかりの小学校

お城と学校は意外に関係が深い。金沢大学が近年まで金沢城内にあったことは有名だし、昔のことだが岡山城内には岡山一中があった。もちろん殿様が教育に関心が高かったということではなく、広い敷地が学校用地に適していたのだ。和歌山市里の和歌山市立山口小...
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秀忠の本陣、御勝山の幻

徳川か豊臣かと問われたら豊臣なのだが、それはおそらく、ないものねだりなのだと思う。一代で築き上げた豊臣の天下は秀吉の死後もろくも崩れ、十数年後にはお家そのものが滅んでしまう。私は空想する。豊臣家に今少し柔軟性があったなら、時代の趨勢を読む力...
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お若えの、お待ちなせえやし

子どものころ町内の運動会で、ペアになる人を探して二人でゴールする種目があった。「友和」のカードを取った人は「百恵」を見つけ出し手をつないでゴールに駆け込んだ。ところが「お軽」が「勘平」を探し、「お七」が「吉三」を求め、「お夏」が「清十郎」を...
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大仏を開眼した法親王

格式の高い寺院を門跡といい、宮門跡には法親王となった皇族が入っていた。幕末史に登場する輪王寺宮や仁和寺宮らが法親王である。興福寺一乗院も門跡寺院であったが廃仏毀釈で今はなく、法親王の墓地を残すのみである。奈良市雑司町の東大寺に「尊覚親王以下...