戦後 伯備線高速化の軌跡 小学生の頃、母親に備中松山城へ連れて行ってもらった。備中高梁駅まで国鉄伯備線に乗ったのだが、当時まだ気動車だった。家族旅行などめったになかったから、大喜びで車窓にへばりついていた。へばりつくといえば、その頃の線路には時々白い紙がレールや枕木... 2020.05.09 戦後
戦後 日本の中心はここだった! 日本の中心はどこか。日本列島を円で囲った中心にあるのは渋川市だ。「日本のまんなか渋川へそ祭り」があるが、今年は延期だそうだ。日本まん真ん中センターがあるのは郡上市美並町だ。長く人口重心地の地位を保っていたが、現在の重心は別の場所らしい。「日... 2020.05.04 戦後
戦後 父祖の地に眠るダンディズム作家 今年3月にねむの木学園で知られる宮城まり子さんが亡くなった。93歳であった。人気歌手の宮城さんが新進気鋭の作家吉行淳之介と出会ったのは昭和32年、女性誌が企画した鼎談だったという。ちなみにもう一人は写真家の秋山庄太郎である。いま芸能人の不倫... 2020.05.03 戦後
戦後 干拓地の恩人と幻の鉄道 曜変天目を藤田美術館で見た時の衝撃は忘れられない。吸い込まれそうな小宇宙がそこにあった。多くの貴人を魅了し再現不可能ともいうあの瑠璃色はどこから来たのか。そもそも、12~13世紀南宋の作品がなぜここにあるのか。世界に三椀のみという曜変天目の... 2020.04.21 戦後
戦後 分水嶺に立っている私たち 今月8日に政府が7都府県に緊急事態宣言を発出し、人々の接触機会の8割減を要請した。これに倣って感染者が増えている他地域でも独自の緊急事態宣言を出し、不要不急の外出をしないよう呼び掛けている。宣言の期間は来月6日までだが、果たして解除できるだ... 2020.04.14 戦後
戦後 阿房列車から見えた多宝塔 ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。2013年度新聞広告クリエーティブコンテストの受賞作品のコピーである。視点を変えれば別の世界が見えてくる。時に立場を変えて、いろんな感情があることに気付くことの大切さを教えてくれた。学校で... 2020.03.02 戦後
戦後 円形劇場のような棚田 記事の総数が1500に達しました。これもひとえに閲覧いただいた皆様のおかげと深く感謝申し上げ、良質な内容の情報をお届けするべく努力してまいります。今後ともよろしくお願いいたします。「これはヒガンバナいうてな、秋のお彼岸になるとかならず咲く花... 2020.02.08 戦後
戦後 三級の浪高うして魚龍と化す 屋根より高い鯉のぼりを私も揚げてもらった。庭先に大きな柱があり、そこに長い竿が取り付けられていたように思う。近ごろの住宅地では、ベランダに設置できる小さなものが好まれているようだ。使われなくなった大きな鯉のぼりは、川や谷を渡る長いロープに何... 2019.12.25 戦後
戦後 祖国へと命を運んだ連絡船 子どものころ『岸壁の母』という歌がヒットしていたが、母が何をしに岸壁に来たのかよく分かっていなかった。外地から引き揚げてきた人が身近にいなかったこともあり、「舞鶴」という地名に特別な思い入れを抱くこともなかった。舞鶴に初めて行ったのは数年前... 2019.12.07 戦後
戦後 転車台がある県境の駅 まっすぐに突き進むのは、それはそれで美学だ。進むからこそ新しい世界が開けるというもの。パイオニアの伝記からは一歩踏み出す勇気をもらうことができる。それでも私は思う。「引き返したっていんじゃね?」「よくがんばったよ。おつかれさま」本日は引き返... 2019.10.10 戦後