戦国

戦国

鎮西八郎為朝の居城?

1日の平均アクセス数が210を突破しました。これも御覧いただきました皆様のおかげと感謝するとともに、今後も有益な記事が書けるよう精進してまいります。何卒宜しくお願い致します。「鎮西八郎為朝御宿」と書かれた護符を玄関先に掲げておくと、疱瘡除け...
戦国

備中東部に睨みを利かせた山城

備中に福山という標高300m超の山があり、美しい山容を遠くからでも視認できる。山上の城跡については以前の記事「名を重んずる者をこそ人とは申せ」でレポートした。ここで合戦が行われたのは、北側に位置する山陽道の通過を阻止するためであった。その福...
戦国

吉備の中心地だった?山城

時は寿永三年二月十八日、一ノ谷の戦いによって源氏による畿内掌握が確実となった頃である。この日の『吾妻鏡』は次のように記録している。元暦元年二月十八日条より(※寿永三年はこの年元暦に改元)十八日、丁丑、武衛被発御使於京都、是洛陽警固以下事所被...
戦国

大堀切で守られた要衝の城

山城探訪の最大の魅力は堀切にある。尾根筋を進撃する敵は、突然断ち切られる道に勢いを止めざるを得ない。山城攻防の最前線となるのが堀切なのである。ただし今、数百年の歳月を経て、堀切は築造当時の峻険さを失っていることが多い。しかし、備中猿掛城では...
戦国

南蛮渡来のタヌキの物語

「魔法のコトバ」というSPITZの名曲があるが、多感な時期、その一言で劇的に世界が変わった経験をお持ちではないか。その魔法、恋といふ。恋魔法なら何時までもかかっていたいものだが、勘違いだったことがよくある。本日は魔法という名の神社である。ど...
戦国

宇喜多氏の拠点を守った山城

海を陸に変えて岡山の穀倉地帯は生み出された。児島湾の干拓である。その嚆矢となったのが宇喜多開墾であり、その潮止堤防を宇喜多堤という。天正の昔に宇喜多秀家が行った。実際の指揮を執ったのは、高松城水攻めで築堤の実績があった岡豊前守利勝と千原九右...
戦国

備作国境を守る技巧的山城

周匝(すさい)は備作国境の要衝で、国道374号で南北へ通じ、国道484号で備前西部へと進入できる。水運が盛んだった吉井川の中流部に位置することも見逃してはならない。この周匝のシンボルが、吉井城山公園の模擬天守である。史実とは異なるものの、確...
戦国

深い堀切でも鳥は越える

高く飛ぶ鳥が山を越え、向こうへ行ってしまった。この印象的な光景は、山を見るたびに思い起こされ、人々はその山を鳥越山と呼ぶようになった。全国に鳥越山はいくつあるのだろう。本日は美作南部の鳥越山に山城を訪ねたレポートをお届けする。岡山県久米郡美...
戦国

長大な竪堀で横移動を遮断する

堀切なら猿掛城、連続堀切なら高屋城、土塁なら伊勢畑城、井戸なら金川城、畝状竪堀群なら篠向城、横堀なら淡相城、技巧的な構造なら黒山城。吉備に名城数あれど、竪堀ならこの城に並ぶものはなかろう。岡山市北区建部町土師方(はじかた)に「土師方城跡」が...
戦国

狐狸庵先生、お城博士ゆかりの山城

遠藤周作先生はネスカフェゴールドブレンドのCMに出ていらした。ダバダ~の曲とともに知的に彼方を見遣って、先生はコーヒーを口にしていた。以来、不肖私もコーヒーカップを手にするたびに遠い目をしているが、端からは所在無げに見えていることだろう。先...