南北朝

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日本を守った播磨のヒーロー

最近はB級グルメやゆるキャラで地域おこしが盛んに行われているが、ローカルヒーローというのもある。ゴレンジャーのような戦隊モノの格好をしている場合が多いようだ。今日紹介するのは藤原貞国という播磨国のローカルヒーローである。 兵庫県揖保郡太子町...
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聖徳太子の見た眺め

実際には歩いていない水戸黄門が全国を漫遊する。空海の訪れていない場所に弘法の水伝説がある。伝説とか信仰とはそういうことなのだろう。そうあってほしいという人々の願いが物語を形成するのだ。今日紹介するのは聖徳太子信仰の本場、兵庫県太子町の伝説地...
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父との戦い

足利尊氏は逆臣だとか、ずいぶんと貶められた時期があったが、幕府を創設し武家政権の進展に寄与した歴史上前向きな評価を受けている。しかし、父親としてはどうだろう。非嫡出子である直冬を冷遇し、討伐軍まで向けている。兄としてもどうだろう。弟・直義と...
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怨霊となった南朝忠臣

後醍醐天皇の一宮(いちのみや)・尊良親王は元弘の乱の失敗で土佐に流される。忠臣・秦武文(はだのたけぶん)は一宮の御息所(みやすどころ)を土佐へお連れしようと尼崎から船出しようとするが,海賊・松浦五郎に襲われる。御息所を助けようと舟に乗せたは...
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播磨南朝哀史

日本人は哀しい話が好きだ。そして貴種流離譚が好きだ。高貴な御方が華やかな都でその幸せな一生を終える。それは,それ以上のものではない。しかし,貴人が鄙びた土地に倒れる,とくれば,「なぜ」と問いたくなるのが人情であろう。姫路市香寺町須加院に「親...
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大楠公の下を湊川が流れ

ナポレオンの騎馬像もそうだが,馬の後ろ立ちはポーズになる。馬術でも障害を飛び越す瞬間の写真は迫力がある。まさに人馬一体である。神戸市兵庫区荒田町1丁目の湊川公園に「大楠公像」がある。写真は桜が咲く前に撮影したので今一つだが,今年も美しく咲き...
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楠木正成の発見

忠臣といえば楠木正成が連想されるほど,その忠節ぶりは大いに喧伝されてきた。勤皇精神の一途さは後世の人々に感銘を与えた。しかし,その正成を世に送り出したのは,他ならぬ水戸黄門様であった。神戸市中央区多聞通3丁目に鎮座する湊川神社に「嗚呼忠臣楠...
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南朝武将は勤皇家?

南北朝の争乱は理解が容易でないところに魅力がある。北朝が勝利しながら正統なのは南朝である。北朝は優勢でありながら内訌が絶えない。北朝武将が方略のために南朝に走ることも珍しくない。坂出市林田町にある「細川将軍戦跡碑」は,南朝方の細川清氏が従兄...
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忠臣高徳の甥の活躍

『太平記』での児島高徳の忠義ぶりはずいぶんと称賛されてきたが,南朝方で活躍した備前の武士は他にも多い。岡山市西大寺松崎に「松崎彦四郎範家候墓所」がある。JR赤穂線に沿って斜面を登ると,その後裔の宅跡だという場所に五輪塔が建立されている。範家...
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流浪の皇子

元弘の変で父帝・後醍醐天皇が隠岐に流された時,皇子・宗良親王は讃岐に流された。三豊市詫間町詫間田井に「王屋敷」という旧跡があり,宗良親王が住まわれていた場所だと伝えられる。昭和十年に宗良神社とされ,今日でも地元で手厚く祀られている。傍らに句...