南北朝

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名を重んずる者をこそ人とは申せ

幕府の創業者三人は、いずれも決戦場所から一旦は遠ざかり、求心力を高めて引き返し、戦いに勝利した。頼朝は房総半島に敗走した後に富士川の戦いに勝利した。家康は上杉討伐に向かう途中に引き返して関ヶ原の戦いに勝利した。では、足利尊氏はどうだろうか。...
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日本最古の在銘石鳥居

「さすがご隠居、無駄に鳥居の数をくぐっちゃいないねエ」八っつぁんがご隠居の知恵に感心している。人の情けや人生の機微を知る人には学ぶことが多い。この場合、鳥居をくぐるのは歳を重ねることを意味している。ところで、人が鳥居をくぐるようになったのは...
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忠臣は孝子の門より出づ

日本史上、最強なのは藤原氏一族だと思う。飛鳥時代の藤原鎌足から昭和の近衛文麿に至るまで、高官を独占していた。政治史においてはそうかもしれないが、精神史においてはどうだろうか。いかに後世に影響を与えたかという指標で評価すれば、楠木正成をはじめ...
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南朝武将の敗者復活戦

南朝と北朝はどちらが正しいのか、を論争した「南北朝正閏論」ほど、ナンセンスな議論はない。南北朝に正しいも間違いもない。二人の天皇が自分が正統だと主張したという事実があるだけだ。ところが、明治44年(1911)に帝国議会では、南朝を正統とする...
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塔の高さに差がある理由(ワケ)

「上司にしたい歴史上の人物」のランキング(雑誌「歴史街道」編集部調べ、平成25年)で第1位は、織田信長である。今年3月16日に「歴史秘話ヒストリア」が放映した「上司にしたくない人」のワーストは、織田信長だった。いったい何なんだ。でも、分かる...
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記念植樹はやはりクスノキ

「正成(まさしげ)は後でわらじにしろと下知(げち)」という江戸川柳がある。楠木正成が「あとで草鞋(わらじ)にしておけ」と命令した、というのだ。いったい何を?軍(いくさ)はてゝ是(これ)を見れば、哀(あはれ)大剛(たいがう)の者哉(かな)と覚...
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「天下墓」に眠るのは

足利将軍家で天寿を全うした人物は幾人いるのだろうか。殺害や夭折など尋常でない死のほか、働き盛りでの病死も多く、天下の将軍家にしては気の毒な終焉の人が多い。また、一族の内訌もたびたび起きている。なかでも南北朝期の「観応の擾乱(じょうらん)」と...
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徳大寺家と宮本武蔵

昨年亡くなった自動車評論家、徳大寺有恒さんは、葉巻と高級車が似合うダンディな方だった。名前に重厚さが感じられ、風貌によくお似合いだった。聞けば、その名はペンネームだそうだ。おそらくは徳大寺公爵家のセレブなイメージと重ねていたのだろう。美作市...
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北畠親房と近代国家制度

大学の政治学特講でD.ヒュームの政治思想について習ったことがある。何といわれる先生だったか、どんなことを話されたのか、ほとんど覚えていない。ただ、要点だけは押さえているつもりだ。要するにヒュームは、政治が個人の資質に左右されないように、制度...
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虚無僧の元祖は南朝の忠臣

視聴率が苦戦と伝えられる『花燃ゆ』だが、神戸市の湊川神社はコアなファンから注目されているらしい。というのも、ここには大楠公楠木正成の墓碑があり、吉田松陰が4度も訪れ拓本を購入して松下村塾に掲げているのだ。低視聴率だとか外聞を気にしては、大業...