南北朝 流浪の皇子 元弘の変で父帝・後醍醐天皇が隠岐に流された時,皇子・宗良親王は讃岐に流された。三豊市詫間町詫間田井に「王屋敷」という旧跡があり,宗良親王が住まわれていた場所だと伝えられる。昭和十年に宗良神社とされ,今日でも地元で手厚く祀られている。傍らに句... 2008.09.16 南北朝
平安 国境の細い谷川 国境(くにざかい)の橋は「両国橋」と呼ばれ,両国国技館近くのものが有名だ。ここは隅田川をまたぐ武蔵と下総の境である。ここで紹介する両国橋は,橋があるのかどうか分からないくらい小さい。岡山市の吉備中山を帯のように流れる「細谷川」を渡る橋だ。こ... 2008.09.13 平安
平安 和泉式部の「へぼ歌」 和泉式部は伝説の歌人である。厳島参詣の折に大嵐に遭い,尾道の向島に上陸した式部。夫の保昌と相談し,天神山にある枝ぶりのよい松を古江浜に移植した。時を経て枝が四方に広がった松が明治十年頃まであったという。古江浜の金比羅宮・胡神社の右手に「和泉... 2008.09.13 平安
神話 吉備の巨人伝説 ダイダラボッチという巨人の足のあと,手のあとは日本各地にある。特に浜名湖が手をついた跡だという巨人は,想像力を働かせるに余りある大きさである。ここで紹介するのは,岡山市にある吉備中山の山中にある「ダイボーの足跡」だ。縦横20メートルくらいで... 2008.09.11 神話
戦後 地方の懐かしい銀座 「銀座」,それは地方において繁華街の代名詞であり,人々のあこがれであった。元来は銀貨の鋳造を行った機関であるが,銀のきらびやかなイメージが商店街と結びついていった。今でも都市を代表する繁華街として名実ともに銀座の名を冠している商店街も多いの... 2008.09.07 戦後
源平 平清盛と吉備高原 平清盛の供養塔は京都や明石に存在し,いかにもそうだろうと納得させてくれる。ところが,彼の活躍の舞台からやや離れた吉備高原の山中にも,清盛のものと伝えられる供養塔がある。岡山県の吉備中央町湯山に清水寺という天台宗の寺院がある。「せいすいじ」と... 2008.09.07 源平
江戸中期 琉球楽人の客死 琉球使節の江戸上りは,薩摩,長崎を経て下関から大坂まで海路であった。瀬戸内でも有数の港である鞆の浦にも使節の定宿があった。将軍・家斉の襲封を祝って寛政2年に琉球から慶賀使が遣わされた。ところが,一行の楽人である向道亨は病に倒れ鞆で亡くなる。... 2008.09.06 江戸中期
戦後 色丹島の景勝 色丹島の又古丹は,この島第一の景勝地だ。ロシアではオトラドナヤ湾と呼んでいる。コタンという音はアイヌ語に由来するのだろう。しかし,今ではアイヌは墓を残すのみだ。「クリル人墓地」との日本語表記で保存されている。島の中心集落・斜古丹からは,国後... 2008.08.28 戦後
南北朝 南風競わず 後醍醐天皇の皇子たちは各地に転戦し、南朝の皇威を揚げようとした。遠江の井伊氏のもとに身を寄せた宗良親王もその一人だ。親王は井伊氏の娘、駿河姫を妃とする。戦いに向かう親王に同道しようとした姫は、浜松市北区細江町気賀の金地院の辺りで倒れ亡くなる... 2008.08.28 南北朝
戦前戦中 聖上陛下の御上陸 昭和五年五月二八日から六月三日まで,昭和天皇の静岡県御巡幸があった。六月一日には巡航船で浜名湖を御覧になり佐久米港に御上陸になった。ホテルグリーンプラザ浜名湖近くの海岸に,記念の石碑が当時の東濱名村によって建てられている。『三ケ日町史』によ... 2008.08.26 戦前戦中