gyokuzan

大正

超巨大塔は何をしたか

「ニイタカヤマノボレ一二〇八」という有名な電文がある。昭和16年12月2日に、山本五十六連合艦隊司令長官が坐乗する「長門」から、南雲忠一中将率いる機動部隊に対して発信された。新高山は現在の台湾の玉山のことで、大日本帝国下においては最高峰だっ...
幕末

我が国最古の木造洋風建築

グラバーを「死の商人」と呼ぶのは言い過ぎだろう。薩長のみならず幕府にも武器を売ったのは確かだが、八女茶を輸出したりキリンビールを設立したりと、私たちの暮らしの向上にも貢献している。しかし、彼の遺産のうち最も社会に貢献しているのは、この建物だ...
大正

今も愛される『蝶々夫人』

バレエダンサー熊川哲也の超絶カブリオールを生で見たことがある。高くジャンプしてパンパンと2回両足を合わせるのだ。まさに身体芸術の極みであろう。彼の率いるKバレエカンパニーによって、今月27日(金)から『マダム・バタフライ』の公演が始まる。よ...
幕末

組織を維持した鉄の規律

颯爽とした印象のある新撰組だが、鳥羽・伏見の戦い前においては、殺した敵の数(26人)、討死や病死した隊士の数(10人)よりも、味方に殺された隊士(40人)のほうが多いそうだ。(菊地明『新選組 粛清の組織論』文春新書)粛清である。局中法度とい...
江戸前期

本土最古の石造アーチ橋

「二重橋」とは、よくテレビで見る皇居前の石橋のことかと思ったら、違っていた。正しくは、石橋の奥にある鉄橋を指すそうだ。では、あの二連アーチの石橋は何と呼ぶのか。正式には「正門石橋」で俗称は「眼鏡橋」である。なんだ、そうだったのか。眼鏡橋なら...
戦後

動かぬ船、それは軍艦島

子どものころ、「軍艦じゃんけん」をやっていた。グーは「軍艦」、チョキは「沈没」、パーは「破裂」と呼んだ。最初は親決めで「戦争(せーんーそ!)」と言ってじゃんけんし、勝って親になると「軍艦、軍艦、(任意)」と言って、掛け声に合わせた手を出す。...
明治

長崎の島に立つ三菱創業者

ブログ開設以来の総アクセス数が46万を突破しました。これもひとえにみなさまのおかげと深く感謝いたします。今後も精進してまいりますので、よろしくお願いいたします。三菱鉛筆は三菱財閥とは何の関係もない。三菱マークや「三菱」を商標登録したのは鉛筆...
戦前戦中

忌まわしきファットマン

台風とか原子爆弾のような忌まわしいものにニックネームをつけるのは、アメリカンの悪い癖だ。ウラン型広島原爆は「リトルボーイ」、プルトニウム型長崎原爆は「ファットマン」と呼ばれた。私はむかし、リトルボーイは原爆ドームの真上で炸裂したものと思って...
戦前戦中

刑務所の跡地は今

江戸時代には牢屋が火事になった際に「切り放し」という措置が取られた。囚人たちに対し、解放する代わりに必ず戻ってくるよう指示し、約束を守った者は減刑、逃亡した者は死刑にしたという。災害時は避難第一で命を守ることが最優先される。それは江戸時代で...
戦後

平らけく安らけく

奈良の大仏を前にしたとき、その巨大さに感嘆する。聖武天皇が大仏を建立したのは、政情不安や天変地異、疫病流行などが相次ぎ、心の拠り所を求めたからである。その大きさは安定を表し、安らかなお顔は慈悲の象徴、こちらに向けられた右手は「怖がらなくてい...