gyokuzan

江戸後期

水は野土路に限る

峠の頂で道に寝転がり空を見上げたことがある。空に吸はれし十五の心なら絵にも歌にでもなりそうだが、そんなに若くはなかった。車がめったに来ないからこそできた、ちょっとした思い出づくりである。自分はどこから来て、どこへ行くのか。先のことなど考える...
神話

蒜山は高天原だった!

「もう、スサノオったら。ほんとにひどいわ。」怒ったアマテラスが天岩戸に引きこもると、世の中は真っ暗になってしまいました。「これはいかん。なんとかせんと。」困った神々は相談して、アマテラスを誘い出す作戦を立てました。岩戸の前で呑めや歌えやの大...
戦国

真庭市北部の城砦4選

源平藤橘、我が国を代表する名族の子孫は今も各地で活躍しているのだろう。NHK『ファミリーヒストリー』では、著名人のご先祖様に歴史上のすごい人物が登場することがある。そのような家系図が残されているのかもしれない。近世身分制社会にあっては家柄は...
安土桃山

秀吉の播磨攻め、最後の攻防

ブログ開設以来の総アクセス数が70万を突破しました。これもひとえにみなさまのおかげと感謝し、今後も旅のお供となるよう記事となるよう精進してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。信長最大の危機は天正六年(1578)に訪れた。もっと危機感...
幕末

本多の流れを汲む者は

江戸時代に大名として最も栄えたのは本多氏で、大名13家、旗本は45家を数えたという。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)もっとも有名なのは徳川四天王の本多忠勝、大河『真田丸』の藤岡弘のイメージが強い。次は名参謀の本多正信、『真田丸』の近...
安土桃山

官兵衛の次男はどこで生まれたか

黒田熊之助という名はあまり聞かないが、大河ドラマに登場した歴史上の人物である。『軍師官兵衛』45話「秀吉の最期」の冒頭で、その悲劇的な死が描かれた。父官兵衛や兄長政に認められたい一心で朝鮮に渡ろうとし、遭難したのである。その熊之助ゆかりの地...
安土桃山

因幡街道を押さえる新免氏の城

五輪については批判的か感動的か、いずれにしても感情に訴える記事ばかりが目についたが、歴史家の渡邊大門氏がヤフーニュースに面白い記事を書いていた。フェンシングに宮本武蔵が出場したなら金メダルが取れるという。その根拠は養子伊織の建てた「小倉碑文...
古墳

前方後方墳のまち勝央町

どちらかといえばマイナーなほうを好む傾向があるので、前方後方墳が好きだ。ある調査報告書によれば、美作地方に前方後方墳が8基あるという。(岡山県埋蔵文化財発掘調査報告30「久米三成4号墳」昭和54年)すべて列挙してみよう。久米三成4号墳、楢原...
南北朝

その忠烈、鬼神をして泣かしむる

皇位継承の在り方について検討していた有識者会議が、女性皇族が結婚後も皇室に残る案と旧宮家の男系男子を養子縁組する案を示した。女性・女系による皇位継承に寛容な国民世論とは乖離した内容であり、本気で皇統を守ろうとする気概が感じられない。保守派に...
江戸前期

尊王論、もう一つの源流

四年に一度の世界の祭典が終わった。バッハ会長から「五輪開催には犠牲が必要」と言われ、諾々と従うほかなかった私たちは何を得ることができたか、今一度考える必要があろう。会長はペリー、マッカーサーと並び称され、その言動は日本人をして「尊王攘夷の志...