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安土桃山

秀吉に一矢を報いた勝家

天正11年(1583)4月21日(陽暦6月11日)、賤ヶ岳の戦いにおいて、柴田勝家は羽柴秀吉に敗北し北ノ庄へ退却した。22日、柴田側についていた前田利家が秀吉に降伏した。23日、秀吉は北ノ庄に入り愛宕山を本陣とし総攻撃を行った。そして24日...
江戸前期

夕顔とヘチマの伸びた小さな家

『奥の細道』は道の奥だから「みちのく」で、東北地方にばかり目を奪われていた。今日は越前の細道である。芭蕉の出発地については以前に「奥の細道の起点」としてレポートしたことがある。ここを元禄2年(1689)3月27日に出立して東北地方に向かい、...
幕末

日露同盟を主張した秀才

中国の歴史上の人物のうち、岳飛(がくひ)は一、二を争う人気だそうだ。漢民族の英雄である。当時の宋(漢民族)は北方から金(女真族)に攻め込まれ亡国の危機を迎えていた。岳飛は農民出身ながら文武両道、義勇軍に入り数々の軍功を上げ皇帝から認められる...
安土桃山

福井で考える武将の評価

豊臣秀吉は木下藤吉郎、羽柴筑前守と名を変えてきたのだが、そのことは天下一の出世人という彼の人生を端的に象徴している。今日は武将として力を伸ばした時代の「羽柴」姓ゆかりの史跡である。福井市中央一丁目の柴田神社に「柴田勝家公像」がある。柴田神社...
安土桃山

三姉妹の心のふるさと

田舎町でオーリガ、マーシャ、イリーナは、かつて暮らしたモスクワを夢見ていた。遠ざかるものに追いすがるかのように「そうよ、早くモスクワへ」と叫ぶ。チェーホフの四大戯曲の一つ、『三人姉妹』である。ロシア文学から入ったものの話の落としどころに迷っ...
平安

さんさ坂本室家の娘

「百夜通えば、つきあってあげる」そんな小町の戯言(ざれごと)を真に受けた深草少将(ふかくさのしょうしょう)は一途(いちず)な男であった。よく知られた伝説では、九十九夜通ったものの最後の晩に息絶えたとされている。今日紹介するのは別の展開で、ス...
江戸前期

徳川家ゆかりの小学校

お城と学校は意外に関係が深い。金沢大学が近年まで金沢城内にあったことは有名だし、昔のことだが岡山城内には岡山一中があった。もちろん殿様が教育に関心が高かったということではなく、広い敷地が学校用地に適していたのだ。和歌山市里の和歌山市立山口小...
江戸中期

熊野へと向かった小野小町

わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて さそふ水あらば いなむとぞ思ふ 【小野小町】「このたび私は三河国の役人になりました。どうです? 私の任地を見に行きませんか」そう文屋康秀が誘ったのに対する返事が先の歌である。「三河なんですね。川には浮草、...
幕末

最初の日本最後の仇討

久しぶりのブログ更新である。これを心待ちにしていた方がどれくらいいらっしゃるのか分からないが、お久しぶりです。残暑が本当にきついです。みなさんはいかがお過ごしでしたか。また、感想を聞かせてください。死刑を廃止して仇討を復活せよ、との論を読ん...
南北朝

南朝勢を守った関所

関所といえば、飲み放題の居酒屋に参集した際に会費を払う幹事さんのことでなければ、箱根の関所を思い出す。箱根関所など近世の関所は治安維持が目的だったが、中世のそれは関銭徴収が目的であった。そうすると飲み会の関所は中世の遺風であり、民俗的に顕彰...