聞くところによれば、南国市に「錦城(きんじょう)」という地名があり、その由来は「お互いいい“近所”づきあいを」という願いを込めたダジャレ地名だという。戦時中の集落整理で誕生したというから、そんなに古い地名ではない。
地名の由来が記された古い文献に「風土記」がある。本日は現存5風土記の一つ『播磨国風土記』の舞台を訪ねることとしよう。

兵庫県多可郡多可町中区東山の那珂ふれあい館前に「播磨国風土記 多可郡由来之碑」がある。
この地一帯は古代の「多可郡那珂郷」であり、道路の向こうには東山古墳群が広がる。そして古墳群からは、那珂郷の中心部を見通すことができる。古代を偲ぶに相応しい場所であろう。説明文を読んでみよう。
播磨国風土記は、七一三年に元明天皇が全国に命じて編集された地誌の一つで、各地の地名伝説や土地風土に ついて書かれている。
多可郡の項に、「託加と名付けられたのは、昔巨人がいて、南の海から北の海に行き、東からこの地にやって来ていうには、他の国は天が低いので常に腰をかがめて歩いていたが、この国は天が高いので伸びて歩けた。
そこで〝高いなあ〟といった。だからタカノコオリという」と記されている。
平成十六年五月一日
中町郷土史研究会 建立
題字 桑村寛
「高いなあ」と言ったから「たか」という地名になったのだ。実に分かりやすい。しかも巨人が言ったという。風土記の書き下し文で読んでみよう。
託賀の郡
右、託加と名づくるゆゑは、昔、大人(おほひと)ありて、常に勾(かが)まり行けり。南の海より北の海に到り、東より巡り行きし時、この土(くに)に到来(きた)りていひしく、「他(あだ)し土(くに)は卑(ひく)ければ、常に勾(かが)まり伏して行きぬ。この土は高ければ、申(の)びて行く。高きかも」と。かれ、託賀の郡といふ。その踰(ふ)みし迹処(あと)、数数(あまた)の沼と成れり。
巨人伝説は全国各地にあり、『常陸国風土記』のうち那賀郡の項には、巨人が貝殻を捨てたら岡になったという話がある。ダイダラボウと呼ばれ、ゆかりの地には巨像までできている。このブログでも三穂太郎やだいぼー、おじょもを紹介したことがあるが、播磨では「大人(おほひと)」とあるのみで固有名詞はない。
常陸は那賀郡、播磨は那珂郷。「なか」は巨人と何か関係あるのだろうか。大昔の人々が信じていた地球平面説では天空はドーム状になっているから、ど真ん中が一番高くなるはずだ。「なか」にやって来た巨人が身体を伸ばして「たか」きかもと言ったのは、信じていいことかもしれない。

多可郡で空を見上げよう。いや実際、気持ちいいくらいに高いではないか。「たか」だけに高いというダジャレではなく、巨人が言うように高いから「たか」なのである。

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