操山古墳群を代表する古墳二選

明治時代、大正時代など近代の時代区分は元号が使われるが、飛鳥時代から江戸時代までの長い期間は政治の中心地で時代を分けている。それ以前の更に長い期間は、旧石器、縄文土器、弥生土器、古墳と遺物、遺跡によって名付けられている。

このうち史跡散策の中で手軽に時代の特色を感じることができるのは、古墳時代であろう。何と言っても古墳は全国に16万基あるのだから。本日は道を歩けば古墳に当たることで知られる操山古墳群から2基紹介しよう。

岡山市中区沢田に「金蔵山(かなくらやま)古墳(操山30号墳)」がある。全長約158mの前方後円墳で、写真は後円部にある竪穴式石室の内部である。

この古墳については、今年6月19日に文化審議会が「史跡」に新たに指定するよう答申した。これまで市も県も未指定だったが、いきなり国指定となる破格の大抜擢である。岡山市の設置した説明板を読んでみよう。やがて国の史跡と明記した立派なものもできるだろう。

知ってる? 金蔵山古墳
全長165m、後円部の高さが18mの大型前方後円墳です(県下4番目)。造られた時期は4世紀末~5世紀初と推定されており、この時代では吉備国最大の規模を誇ります。発掘調査の結果、この古墳からは鉄製品を始めとした多数の副葬品や、多くの各種埴輪が出土しています。
岡山市

全長の数値が異なるが、158mは文化審議会の資料に拠る。岡山県では造山、作山、両宮山に次ぐ4位の大きさを誇り、築造当時は中国・四国・九州地域における最大規模であったという。古墳の北には豊かな穀倉地帯、旭東平野(上道平野)が広がる。浸水しにくい沢田の地は、この時代からの古い集落なのかもしれない。

古墳時代が中期(5世紀)となると、西に造山・作山、東に両宮山と、河内・大和同様に巨大古墳の時代を迎える。旭川流域では大型古墳は造られなかった。そして古墳時代は後期となり、操山に横穴式石室が次々と造成され、130基を数える操山古墳群が成立するのである。

沢田地内、金蔵山古墳の北に「沢田大塚古墳(操山40号墳)」がある。古墳群最大の横穴式石室である。

石室は全長約11.4mで片袖式、玄室の高さは約6mもある。奥壁は巨石の三段積みである。西に箭田大塚、こうもり塚、東に牟佐大塚、大きな一枚岩を奥壁とした吉備三大巨石墳と同時期の築造であろう。

操山を散策しよう。緑に包まれた道の心地よい起伏がリズムとなって歩みが進む。突然現れる古墳に足を留めるのが休憩だ。千数百年を経て今を生きる私たちは、ここで生気を取り戻している。聖なる山ならではの楽しみ方なのだ。

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