オノテツの電車が抜けたトンネル

中国山地を抜ける電車なら「やくも」か「スーパーはくと」である。山あいを滑るように走る色鮮やかな列車が旅へ誘うように感じる。この電車が走る路線は、交通の難題である陰陽連絡を担っている。

明治から大正にかけて鉄道網の整備が進んでいた頃、様々な陰陽連絡の案が考え出された。尾道から上下を経て三次に至る路線もその一つである。完全に実現することはなかったが、その一部は「オノテツ」として住民の足となった。

尾道市木ノ庄町木門田(きもんでん)に「旧尾道鉄道4号トンネル」がある。石と煉瓦で造られた美しいトンネルだ。

尾道鉄道は大正十四年開業、4号トンネルを電車が通過したのは翌年である。南の尾道から北の御調町市(いち)を結ぶ鉄道で、ざっくりといえば国道184号のルートである。説明板を読んでみよう。

旧尾道鉄道トンネル
木ノ庄地区(石畦~畑)で尾道軽便鉄道のトンネルが6箇所ありましたが当時のトンネルのまま残っているのがこの4号トンネルです。

木ノ庄地区を南から北へ向かうと急勾配でトンネルも多かった。ここは南から4番目のトンネルである。他のトンネルは道路拡張に伴う工事で面影を失ったが、4号だけは健在だ。

木ノ庄地区には南から石畦(いしぐろ)駅、西校上駅、畑駅があった。4号トンネルは西校上駅と畑駅の間に位置する。

併行する国道184号は銀山街道以来の歴史を誇る主要道である。ここをバスが走るようになって乗客を奪われ、昭和32年に石畦駅・市駅間が廃止され、同39年には全線廃止となった。今あれば新尾道駅と尾道駅を結ぶ連絡路線として機能しただろう。

この鉄道ではかつて大事故が起きたことがある。木ノ庄地区の急勾配で集電装置のトロリーポールが外れ電車が停止、その後退行して脱線大破した。事故現場は国道184号と山陽自動車道が交差するあたりで、近くに「南無妙法蓮華経」と刻まれた供養碑が設けられているようだ。死者は37名とも45名とも言われている。昭和21年8月13日、お盆の出来事であった。

陰陽連絡の夢はどうなったのか。昭和13年に福塩線が全通し、福山、上下、三次が結ばれた。そして、三次と江津を結ぶ三江線が昭和50年に全通し、陰陽連絡が叶った。

ところが「ありがとう、さよなら三江線」で報告したように鉄道による陰陽連絡は失われ、今は尾道自動車道、松江自動車道がその役割を担っている。オノテツが6本のトンネルをくぐりながら急勾配を登った木ノ庄地区は、2830mの木ノ庄トンネルで快適に通過できるようになった。

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