江戸前期

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3泊4日した神君

各地を転戦して最後には天下をとった徳川家康は亡くなってからも旅をした。一旦は久能山に葬られたが日光に改葬されたのである。それは家康の意思、いや遺志であった。それは遺骸の移動ではない。神、東照大権現の遷座であったのだ。川越市小仙波町一丁目に日...
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忠臣蔵の季節

先日の田村正和のTVドラマ「忠臣蔵‐その男、大石内蔵助」にしろ、今公開中の映画「最後の忠臣蔵」にしろ、ここのところ忠臣蔵が気になる。長期間にわたる出来事であっても、メディアが取り上げる時期には季節性があるようだ。夏は太平洋戦争、冬は忠臣蔵の...
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渡来人のアイデンティティ

広隆寺の半跏思惟像のアルカイックスマイルは小学生の私の心をも捉えた。図工の時間に模写して塩ビ板にニードルで刻んだ。スマイルは再現できなかったが、好きな仏像第1号となった。広隆寺は京都の太秦(うずまさ)にある。私は行ったことがない。今の小学生...
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小大名の底力

戦国の世渡りは難しかっただろうとつくづく思う。織田信長の家臣だったことは初めから勝ち馬に乗っているようなもの…いや、実のところまったく違う。信長の粛清をくぐり抜け、秀吉、家康へと吹く風をうまく読まねばならない。むしろ、最終局面で馳せ参じて大...
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神となった国学の鬼才

学問の神様,といえば菅原道真だけではない。吉備真備,和気清麻呂の祀られている神社でも同様なご利益があるそうだ。そしてまた,新しい学問の神様に出会った。尼崎市南城内の櫻井神社の境内社として「契沖神社」が鎮座する。僧契沖は日本史で習った。国学の...
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今治の仇を尼崎で討つ

曾我物語,伊賀越,忠臣蔵とくれば日本三大仇討である。いずれもドラマティックな展開で後世の人々の心を惹きつける。劇化すれば美しい物語であっても,史実では陰惨な出来事に違いない。仇討は人間の情念の塊りのような事象である。尼崎市東本町一丁目の辰巳...
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さらに小さな小京都

京都に似た風情や古い町並みをもつ町を小京都いい,全国京都会議という組織まで結成されている。しかしながら,そこまで大仰ではないが確かに京都の要素を持つ古い町を紹介しよう。瀬戸内市長船町福岡に「殿町(とのちょう)」という通りがある。ここは,「備...
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義を見て行動した人

義を見てせざるは勇なきなり。小さい頃にしたカルタにこんな言葉があった。正義と勇気は不可分だと子供ながらに理解した。理解した? いや,知行合一ならば,今でも理解できていない。言うは易く行うは難し。正義と勇気を持ち行動した庶民,彼らのことを「義...
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逆臣の門

忠臣か逆臣か,見る人の立場や解釈によって評価が分かれる。利己的な権力欲によって反逆することもあれば,君側の奸を除くという大義のために挙兵することもある。もっとも,自分のためだと称して反逆する者はいないから,その真意をどう解釈するかが問題とな...
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戦国の遺風

原野で遺骸のない棺を焼いて,その灰を埋納して塚を築く。葬送儀礼は各地で特色があるが,中でも東北の雄,伊達家の儀礼は独特だった。仙台市青葉区新坂町の増上山大願寺に「伊達政宗灰塚」がある。土塁と周壕があって古代の古墳のようだ。政宗は寛永13年(...