戦後

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地球がボイラー

エネルギー生産は、いかにCO2を排出しないかがエコの指標だったが、今やいかに危険でないかが地球への優しさというか生命の安全保障の最低条件となった。地震は困ったものだが、動く大地の最前線である日本には火山が多い。その熱を利用したのが地熱発電所...
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八丈島のキョン!

八丈島にキョンがいるとは知らなかった。というかキョンが動物であることすら思ってもみなかった。『がきデカ』のこまわり君の意味不明なギャグとしか理解していなかった。東京都八丈町大賀郷の八丈植物公園に「キョン」がいる。耳慣れていなかったので天然記...
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高度成長を支えた技術

川口を訪れるまでキューポラが何なのかを知らなかった。語感からメルヘンっぽいものと思っていた。川口は鋳物の町である。映画にもなっている。『キューポラのある街』はDVDで見た。やはり列車を見送る別れの場面は圧巻だ。その後の歴史を知っていることが...
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ハエを退治した場所

ゴミの山を名付けて「夢の島」とは、さすがに東京はすごい。都会はスケールの大きさ、発想の大胆さが違うと感心したものだ。昭和の東京を象徴する場所の一つである。江東区に「夢の島」がある。夢の島公園という都会的で爽やかな公園となっている。夢の島につ...
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第五福竜丸に学ぶ

原発事故の収束の見通しが持てない中で、また首相交代の季節になった。ボスニア・ヘルツェゴビナという国は国家元首が輪番制で8か月ごとに交代するという。代表がコロコロ変わるなんて国が安定していない証拠だと勝手に思っていたら、政治に責任を負うシュピ...
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震災が変えた景観

軍艦島というのが能登半島にあるそうだが見たことはない。私は茨城の海岸でそれを見た。太平洋や日本海のような大海を知らない井の中の私は、磯原に接岸した木々で擬装した軍艦に驚いた。その日は天気が良く海水浴を楽しむ人で賑わっていた。北茨城市磯原町磯...
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ウォーナー伝説の史跡

先の大戦で東京や大阪、名古屋などの都市は激しい空襲を受けたのに、京都や奈良、鎌倉はほとんど無傷だった。なぜか。それは、古都の文化財を守るためアメリカが配慮したおかげである。このことは、かつての常識であった。北茨城市大津町五浦の茨城大学五浦美...
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中国を思い起こさせためがね橋

眼鏡橋といえば九州に多い。しかし、今日紹介するのは関東地方で、しかも3連アーチ、しかもあの有名作家が描写していた。千葉県安房郡白浜町滝口(現南房総市白浜町滝口)に「めがね橋」がある。長尾橋とも眺尾橋ともいう。明治21年(1888)3月に長尾...
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板橋の板橋

地名には何がしかの起源があるはずだ。大阪は上町台地に坂があったのだろう。岡山には丘みたいな小さな山があったに違いない。では板橋には板の橋があったのか。行ってみると、それはあった。もっとも板の色をしたコンクリート製だったが。板橋区仲宿に「板橋...
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大仏見るなら東京へ

東京に行くなら、東京モノレールに乗って東京タワーに登って、名所の名前に東京とつかなければ来た甲斐がない。そういえば、スカイツリーはどうだろう…。東京が付いていた。これなら安心だ。そして、東京といえば大仏でしょ。板橋区赤塚五丁目の乗蓮寺に「東...