戦国

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備前宰相生誕の地

宰相とは,現代では首相のことだが,かつては参議の唐名であった。豊臣政権の五大老・宇喜多秀家は,天正十五年(1587),15歳にして参議に任じられる。岡山城主にして参議,「備前宰相」の誕生である。岡山市東区沼に亀の形をした「亀山城跡」がある。...
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梟雄の出世城

謀将やら梟雄やら,宇喜多直家には手段を選ばない策略家というイメージがあるようだ。『太閤記』には,戦国三大悪人として次のように記されている。まことに無道之報、直家にかぎらず。松永弾正忠久秀、斎藤山城守道三、此両人等も直家にひとしく、才高して利...
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岡山の偉大な母

いつの世も母は偉大である。この母あってこその偉人である。厳しく強く,そして優しく。まさにグレートマザー物語である。戦国武将にしても然りであろう。岡山市東区西祖(せいそ)に「宇喜多直家生母の墓」がある。もとは国道2号線より南の寺山地区にあった...
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「なで切り」の時代

門柱に表札がついている。「首塚さんのおうちか…」 いや,そうではない。ここは慰霊の場所なのだ。浜松市北区細江町気賀に「堀川城趾」の石碑があり,その傍らに「首塚」はある。周辺は水田で特に高台に位置するわけではない。それでもここに城が築かれたの...
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腰投げ地蔵

石仏は人に安らぎを与えるが,とりわけ岡山市高松地区に散在する文英様石仏は心優しい。戦国末期,文英とその弟子によってつくられ,争乱の時代に亡くなった人々の霊を弔っているという。加茂小学校の近くのあぜ道に二体の地蔵尊が鎮座する。鎮座というほど堂...