弥生以前

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人を活かす鹿

平櫛田中の傑作に「活人箭」がある。弓を構える格好をして禅を説く和尚の姿なのだが、初めは実際に弓矢を持っていた。これを外させたのは「あんな姿では死んだ豕でも射れやしない」という岡倉天心の指導だったという。これによって見えないものが見えるように...
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放散虫が教えてくれた正直慈善

「ゆるぎ岩」を揺らしたことがある。動きそうにないものを動かせた時の感動は忘れ難い。「法道仙人」の遺跡を訪ねたことがある。鉢をドローンのように飛ばしていたのだという。あまりにも荒唐無稽な話で信じ難い。両者がコラボすると、次のような伝説になる。...
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見るほどに夫婦に見える二柱

人の顔に見える自然物を見かけて驚くことがあるが、これは私たちが目鼻口を認知しやすい機能を有しているからだという。二つ並んだ岩を見ると「夫婦岩」と呼ぶのも同じかもしれない。試みに地理院地図で「夫婦」を検索すると、全国各地の「夫婦岩」「夫婦滝」...
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縄文人が残したタイムカプセル

冷蔵庫の中に入れていても腐らせてしまうくらい、ずぼらだ。こんなことでは罰が当たる。食料の確保は人間として、いや生物として最優先にすべき行動である。在庫管理を徹底し、無駄を出さぬようにせねばならない。ところが驚くべきことに、縄文時代の木の実が...
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200万年前の溶岩

今は地質年代で言えば新生代第四紀である。新生代は第三紀と第四紀から成るが、1989年以来、第三紀を古第三紀と新第三紀に分けている。さらに2009年、新第三紀と第四紀の境界が181万年前から258万年前に変更された。ジェラシアンという時代区分...
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岩は大量絶滅を見たか

岡山平野南部の干拓地に立てば、かつての「吉備の穴海」がイメージできる。周りが山に囲まれているのだ。南の金甲山、北の金山はすぐに視認できるだろう。その金山の右側にも同じくらい高い山がある。本宮高倉(ほんぐうたかくら)山だ。気になるので登ってみ...
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縄文稲作の最古例はどこか

稲作の起源は諸説あって、日本史の謎の一つである。一説に、最古の証拠は朝寝鼻貝塚で見つかった6400年前のプラントオパールだ、という。これは縄文時代前期であり、この時代からご飯を食べていたなら縄文人のイメージがかなり変わるだろう。さっそく現場...
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裂けてつくれる変成岩

『土佐日記』の紀貫之は船で都に帰っているが、行きは陸路だったらしい。それは淡路島から阿波に渡り、讃岐、伊予へと進み、瀬戸内海、宇和海沿岸を下って、西から土佐へ入る急がば回れルートである。現代なら国道56号のイメージだ。比較的平坦なので歩きや...
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春深き谷に流れる滝一条

黒土(こくど)といえば黒土地帯。ウクライナからシベリア西部に広がる肥沃な地域である。チェルノーゼムというロシア語も黒い土地という意味があるらしい。枯れた植物が堆積してできた黒い土なのだ。我が国にも黒土という地名が各地に存在する。青森県、新潟...
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われても末にまた遇う日まで

府中市上下町上下の街中をバスが走る。国道432号を上下駅前に向かう中国バスである。おそらく道の駅びんご府中から来たのだろう。何でもないような風景に見えるが、我が国を二分する重要な場所を通過しようとしている。太平洋側から日本海側へバスは行く。...