幕末

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渋沢栄一ゆかりの備中興譲館

興譲館高校は女子駅伝の強豪として知られているが、学校の淵源は幕末に遡る。令和3年の大河『青天を衝け』第18回の紀行で「興譲館」が紹介された。見ていないが、この回では渋沢栄一が備中の興譲館を訪ね、館長の阪谷朗廬(さかたにろうろ)と面会するシー...
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維新の種火となった生野の烽火

三菱重工ビル爆破事件から今年で50年。現場は今の丸の内二丁目ビルである。このビルが文部科学省ビルだった頃に、半年ほど勤めたことがある。凄惨なテロがあったとは思えないようなアーバンな雰囲気だった。一般人を標的にした無差別テロは人道に反する。愛...
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無用の長物だった砲台

文久二年十二月五日(すでに1863年)をもって我が国の国是は攘夷となった。幕府が勅を奉じて攘夷を行うことを約したのである。このため文久三年は五月十日の攘夷決行日、八月十三日の攘夷親征と盛り上がったが、同月十八日の政変で破約攘夷の急進派が追放...
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富足ゆかむ春ぞ来むかふ

ストレートな思いが若者言葉や英語に訳しやすいと評判で、元号の出典として高く評価される『万葉集』。今年は「和歌の浦誕生1300年」という記念の年に当たる。神亀元年(724)、この年に即位した聖武天皇が和歌の浦に行幸して1300年。帝に随行した...
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鳥ヶ乢で鳴いたコケコーロー

ココリコはお笑いコンビかと思ったら、ニワトリの鳴き声であった。フランスではCo Co Ricoと朝を告げているのだとか。我が国でもコケコッコーとなくようになったのは近代であって、古代から中世にかけてはカケロ、近世にはトーテンコーと鳴いていた...
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ありがとう十五夜丹蔵

岡山県出身の関取がしばらく出ていない。私が強く印象に残っているのは鷲羽山で、小兵ながら技能派として館内を沸かせたものだ。四股名のとおり鷲羽山がある児島の出身である。他にも昔、常ノ山という技能派力士もおり、児島には常山という山もあるが、こちら...
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一揆勢が向かった虫明様の茶屋

江戸時代に頻発した百姓一揆。要求を貫徹するための示威行動であるから、一揆勢は御城下を目指して進軍した。その具体例はアーカイブズ「数の圧力で妥協を引き出す」でレポートした。鳥取藩元文一揆である。岡山藩で起きた渋染一揆は人権闘争の金字塔であり、...
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最新情報はオランダ語から

文久の改革は三大改革以上に特筆すべき改革である。幕府による大名統制の根幹をなす参勤交代が改められたのだ。隔年交代制は3年に一度、江戸在留期間は100日となった。地方分権が進められたのである。時に文久二年(1862)、様々な可能性を秘めながら...
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明治維新に向けての船出

昭和43年に当たる明治百年は、イケイケどんどんの高度成長期という背景もあって各地で盛大に祝福された。これに対して平成30年の百五十年は、そこまでの盛り上がりはなかった。明治維新に至る過程の暴力性が明らかになり、「勤王」という評価指標に疑問の...
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鳥取藩が築いた迎撃システム

軍事施設がいつどの場所にどこを向いて設置されたかに着目すると、我が国を取り巻く当時の状況がよく分かる。太平洋岸に風船爆弾の基地が設置されたのは遥か彼方のアメリカを攻撃するためだったし、イージス・アショアが日本海側に配備されようとしたのは北朝...