南北朝 後藤又兵衛の先祖 姫路市香寺町矢田部に「後藤又兵衛ゆかりの郷倉」がある。後藤又兵衛とは,大坂の陣の勇将・後藤基次のことだ。郷倉は「ごむら」と読む。この「ごむら」は完形をとどめていない宝篋印塔の一群である。南北朝時代のものらしい。又兵衛と宝篋印塔,そして郷倉。... 2008.08.26 南北朝
戦国 腰投げ地蔵 石仏は人に安らぎを与えるが,とりわけ岡山市高松地区に散在する文英様石仏は心優しい。戦国末期,文英とその弟子によってつくられ,争乱の時代に亡くなった人々の霊を弔っているという。加茂小学校の近くのあぜ道に二体の地蔵尊が鎮座する。鎮座というほど堂... 2008.08.25 戦国
平安 名国司の顕彰 かつての土佐は遠流の地で,幾多の貴人が流されてきた。その一人,紀夏井といえば,応天門の変で排斥された名族・紀氏の有力者である。香南市野市町母代寺には紀夏井邸跡がある。母代寺の近くには父養寺という地名もあり,どちらも夏井の親孝行に由来するらし... 2008.08.23 平安
源平 数の時代 三十三間堂には一千一体の千手観音がおわす。一体の観音は三十三身に変化して衆生を救うというから,その数は三万三千三十三となる。救いの手は,そこここに伸べられていたのだ。三十三間堂の名で知られているが正式には蓮華王院といい,後白河上皇の院政庁で... 2008.08.23 源平
明治 勝ち戦のイメージ 備前法華といわれるように岡山には日蓮宗の信徒が多い。村々の中心には題目石が建てられ,今でも篤く信仰されている。丁寧な村では宗祖・日蓮を祀る祖師堂を建立している。岡山市青江は行政地名としては広範囲だが,昔からの集落は青江5丁目あたりの集住地域... 2008.08.22 明治