大きな堀切に守られた小さな砦

歴史地理学を繙けば、歴史的事象が「交通」に大きく制約されていることが分かる。今のドローンのように自由自在に攻撃できるわけではない。関ヶ原なり川中島なり、決戦場所に選ばれたのは理由がある。

岡山県のうち備中地域の交通は、現代の国道180号とか高梁川の水運の視点で考えがちだ。しかし、中近世の交通を理解するには、山陽道と松山、玉島湊と松山をいかに結ぶか、を押さえねばならない。

岡山県小田郡矢掛町横谷(よこだに)に「原砦跡」がある。横谷は、備中の拠点猿掛城の横の谷、という意味なのだろう。

城ではなく砦と呼ばれるだけあって、大きな構えという印象はない。しかし、写真の堀切を見よ。その上部にある土塁を見よ。

なぜ、これほどしっかりした構えの砦を築いたのか。城砦の立地を考えるなら、街道をみよ。原砦が押さえる街道とは何か。

近くを南北に通過するのは県道35号倉敷成羽線である。玉島を出発して矢掛へと向かう。浅口郡から小田郡に抜けるには富峠を通過せねばならない。今は富トンネルで快適に走行できるが、かつての玉島往来はもっと南西の富だわ池(瓢箪池)のあたりを通過していた。この富峠を越えてくる敵の進軍を食い止め猿掛城を守るのが、原砦の役割であろう。

備中で山陽道から松山方面に派生する道には、県道166号美袋井原線、県道48号笠岡美星線、県道35号倉敷成羽線、県道282号市場青木線、県道54号倉敷美袋線などがある。おそらく古くからの道で、山城が睨みを利かせている場合も多い。

東西に移動するには山陽道、そこからいかに成羽・松山方面へと進出するか。また、逆にいかに進入を防ぐか。山城の存在が備中の戦国攻防史を語っている。

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