屏風を英語でfolding screenと言うが、foldingには折り畳み式という意味がある。だから、屏風岩をfolding screen rockという直訳では誤解が生まれやしないか。辞書によれば、sheer cliff(断崖絶壁)、rock wall(岩壁)という表現もある。
屏風岩と言っても形状は様々だ。これまでに、国指定天然記念物のたつの市新宮町觜崎の屏風岩、出雲神話ゆかりの出雲市大社町杵築北の屏風岩、超巨大な真庭市関の屏風岩、まさに断崖絶壁船上山の屏風岩、比較的小さな総社市奥坂の屏風岩を紹介した。


真庭市上中津井の金刀比羅神社に市指定天然記念物の「屏風岩」がある。まさに壁、乗り越えられない壁である。
岩肌が白っぽい。ここ旧北房町域はカルスト地形で有名だ。ここもその一つと考えたらよいのだろうか。真庭市教育委員会『真庭市の文化財』には、次のように記されている。
延享元年(1744)伊勢亀山藩主石川日向守が飛地支配のために下中津井に陣屋を創設した際に、邸内に金刀比羅大権現を祀りました。その後天明8年(1788)現在地に移され、現在に至っています。境内には石灰礫岩の断層による断崖が浸食を受け、あたかも屏風状の壮大な景観となっています。付近には金刀比羅大洞など四つの鍾乳洞が開口しています。
伊勢亀山藩の陣屋跡については「伊勢亀山と備中北房、続く藩領の絆」でレポートしている。中津井の地が伊勢亀山藩領となったのは延享元年(1744)。当時の藩主は石川総慶(ふさよし)。官位は主殿頭(とのものかみ)である。日向守は誤りであろう。
絶壁の地に金刀比羅神社が移されたのは天明八年(1788)。当時の藩主は石川総博(ふさひろ)。彼こそ日向守に任官していた。藩校明倫舎を創設し、学問を奨励した名君である。
旧北房町には「上房台(備中鐘乳穴、岩屋の穴、上野呂カルスト)」という県指定天然記念物もある。もとは3億年前の熱帯サンゴ礁である。これを海洋プレートが運び、大陸プレートにぶつかって石灰岩の付加体となった。
あるものは鍾乳洞になり、あるものは羊群原(ようぐんばる)となった。そして、ここでは垂直に切り立つ屏風岩となった。rock wallでもいいが、Byobuiwaとそのまま言ったほうが興味を持ってもらえるかもしれない。

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