秋風の身にしむ夜半は

追はぎにあふたもしるす旅日記
『俳風柳多留』二篇に掲載されている名句である。旅を台無しにしてしまう出来事も、川柳にするとほのぼのと聞こえる。嫌なことは笑いに変え、湧く旅情は歌に詠んだ。

文武に長けた細川藤孝(幽斎)も旅日記『九州道の記』を残している。時は天正十五年(1587)。秀吉の九州征伐に参陣するため4月21日、細川は居城の田辺城を出た。山陰経由で九州へ入り、6月8日に筥崎宮で秀吉と面会した。帰りは船で瀬戸内を通過し、ここに立ち寄った。

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赤穂市坂越に「鍋島」がある。

湾内にある可愛らしい島だが、道沿いの標柱で紹介されている。どこがすごいのだろうか。

鍋島・鍋島古墳
島の頂上には横穴式石室がある。また、細川幽斎(藤孝)が九州名護屋からの帰途、詠んだ歌が伝えられている。
塩は早よき程なれや鍋か島 杓子の内に入れて見つれは

まず、古墳。築造当初はずいぶん目立ったことだろう。ここに我ありと主張するのには、打ってつけのポジションである。そして、あの細川幽斎の登場だ。旅日記を読んでみよう。

十九日、備前の中ひらとと云ふ所に泊り、夫より暮れ程に宇島門(うしまど)に著きて、船をかけても軈て出すべき由をいへば、上りもせで、舵枕の月を見るに、物憂き旅寐なれば、
  船にねて何をたのまん月にさへ猶うしまどの泊りなりせば
夫より月の夜船に乗りて行くに、虫明の瀬戸といへば、
  秋風の身にしむ夜半は鳴く音をも聞くばかりなる虫明の瀬戸
風あらく成りて、楯の浦と云ふ所に上り、人里もなき所に旅寐し侍り。
  夕波のたての浦よりゆみはりの月も光を放つとぞ見る
兎角ありて波間に船を出して、播磨のまで行く道に、坂をこえ、杓子と云ふ在所あり、その近きあたりに鍋の島と云ふあれば、
  塩はたゞよき程なれや鍋のしま杓子をなかへ入れて見つれば

西から東へと地名を並べることが可能だが、「ひらと」とはどこだろうか。「楯の浦」はおそらく日生ではないか。「鍋の島」の歌は「潮の具合はどうだい?船が出せるかね?」と水主に尋ねる内容だ。「なかへ入れて見つれば」からは、鍋島が湾に守られているかのような光景が印象的だったと分かる。

人はなぜ旅を記録しようとするのだろうか。誰かのために?いや、自分の足跡を確かめるためだろう。自分が生きてきた証しを記録として留めておきたいのだ。そう考えると、この「紀行歴史遊学」もまた然り。願わくは我が精魂の尽きざるうちに肉体の滅び去らざらんことを。

コメント

  1. 楯岩 より:

    盾の浦は、長島説がある。 
    盾岩。

  2. 楯岩 より:

    盾の浦は、長島説がある。 
    盾岩。

  3. 玉山 より:

    ご教示いただきましてありがとうございます。美しい瀬戸内の風景に詩情がかきたてられたのかもしれませんね。

  4. 玉山 より:

    ご教示いただきましてありがとうございます。美しい瀬戸内の風景に詩情がかきたてられたのかもしれませんね。

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