あの後醍醐帝の側近重用を諫めたという気概ある公家,万里小路藤房。諫言が聞き入れられず出家,失踪し,その後のことは不明とされる。
岡山県苫田郡鏡野町中谷字近衛殿に「藤房公墓碑銘」がある。藤房は,先にこの地に移り住んでいた近衛経忠公を訪ねたが,公の死を知って悲憤し,その廟近くに小庵をかまえ菩提を弔った,と伝えられている。
近くの弘秀寺で祀られている位牌には「万里小路中納言藤房天授六庚申歳八月九日卒」とある。天授六年とは南朝年号で1380年に当る。
藤房の墓は,滋賀県湖南市の妙感寺,愛知県幡豆郡一色町の養林寺,秋田県秋田市の補陀寺にもある。人々が藤房の気骨を慕っている証なのだろう。
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