幕末 無用の長物だった砲台 文久二年十二月五日(すでに1863年)をもって我が国の国是は攘夷となった。幕府が勅を奉じて攘夷を行うことを約したのである。このため文久三年は五月十日の攘夷決行日、八月十三日の攘夷親征と盛り上がったが、同月十八日の政変で破約攘夷の急進派が追放... 2024.08.11 幕末
特集 真備公を顕彰する二つの石碑【吉備真備⑥】 平安絵巻の傑作『吉備大臣入唐絵巻』は、アメリカのボストン美術館所蔵である。ロゼッタ・ストーンの返還を求めるエジプト人のように悔しいのだが、『絵巻』は奪われたのではなく売られてしまったのだ。その意味では、アラスカを売却して後悔しているロシア人... 2024.08.04 特集
特集 真備公ゆかりの二つの墓【吉備真備⑤】 人間到るところ青山あり。骨を埋むる豈ただ墳墓の地のみならんや。人も歩けばお墓に当たる。これだけ多くの人が生きてきたのだから、それだけお墓も多い。一人で複数のお墓がある人もいる。和泉式部の墓は各地にあるようだから、吉備真備の墓が二つ三つあって... 2024.07.28 特集
特集 真備公が貢献した二つの文化【吉備真備④】 オセロ発祥の地は水戸市だという。現在の水戸第一高等学校に通っていた長谷川五郎さんと仲間たちの遊びから生まれた。当時の石は牛乳瓶の蓋であった。だからと言って、「オセロ発祥の地」という記念碑があるわけではないようだ。岡山県小田郡矢掛町東三成の吉... 2024.07.27 特集
特集 吉備公ゆかりの二か所の館址【吉備真備③】 奈良貴族の邸宅跡として知られるのは、長屋王邸や藤原不比等邸、藤原仲麻呂邸などであるが、昨年、舎人親王邸では?という4町宅地跡が見つかり話題となった。中でも仲麻呂邸は8町という広さだというから、その権勢が偲ばれる。その藤原仲麻呂と相容れること... 2024.07.24 特集
特集 真備公の産湯に使った二つの井戸【吉備真備②】 イエスが誕生した時に輝いたというベツレヘムの星は、ヨハネス・ケプラーによれば紀元前7年に起きた木星と土星の三連会合だったという。いや彗星ではないか?超新星爆発では?など、さまざまな説があって決定打はない。吉備真備が生まれたのは持統天皇九年、... 2024.07.20 特集
特集 真備公を顕彰する二つの公園【吉備真備①】 古代日本史の人物で顔が思い浮かぶのは聖徳太子ぐらいなものだ。あのお姿がありがたく感じるのは、壱萬円札から生じた昭和の聖徳太子信仰によるものだろう。いっぽう卑弥呼はあまりにも有名だが、容貌についてはさっぱり分からない。和気清麻呂は見たことがあ... 2024.07.12 特集
戦国 大堀切で守られた要衝の城 山城探訪の最大の魅力は堀切にある。尾根筋を進撃する敵は、突然断ち切られる道に勢いを止めざるを得ない。山城攻防の最前線となるのが堀切なのである。ただし今、数百年の歳月を経て、堀切は築造当時の峻険さを失っていることが多い。しかし、備中猿掛城では... 2024.07.07 戦国
戦後 水面に出現した富士とは 「よーうつってじゃが」「ほーかのー」とは岡山弁の会話で、「よくお似合いですね」「そうですかぁ(照)」という意味である。この似合うを「映る」と言うのは我が国古来からの用例であり、「気疎(けうと)し」を「きょーてー」と使い続ける岡山弁ならではの... 2024.06.27 戦後
江戸中期 寛政戊午重三禊飲于此 謎の芸術家バンクシーが器物損壊を問われないのは、価値を台無しにする落書きではなく、価値を付加するアートだからだという。分かったようで、どこか腑に落ちない心持ちだ。しかし、似たような例は我が国にもある。美しい渓流で宴を開いた拙斎先生。興が乗っ... 2024.06.23 江戸中期