戦後

祝・カーター元大統領百寿!

平成6年だったと思う。私は広島県北の町々に車を走らせていた。役場を巡って観光パンフレットをもらうためである。甲奴(こうぬ)町役場を訪れた時のこと。職員の方がたくさんの封筒を並べて忙しそうにしていた。なんだ?と思って見ていると、「カーター元大...
幕末

維新の種火となった生野の烽火

三菱重工ビル爆破事件から今年で50年。現場は今の丸の内二丁目ビルである。このビルが文部科学省ビルだった頃に、半年ほど勤めたことがある。凄惨なテロがあったとは思えないようなアーバンな雰囲気だった。一般人を標的にした無差別テロは人道に反する。愛...
戦後

神秘的な姿に動くこと能わず

滝の名としてはポピュラーな不動滝。その由来については「なぜ不動滝という滝名が多いのか」で紹介した。本日は養父市大屋町の滝を紹介するが、大屋町と言えば「天滝」である。道路脇に設置された説明板によると、そこまで大きな滝ではないらしい。行ってみる...
源平

平家ヶ城が語る落人の悲劇

与那国島海底地形は古代遺跡とも自然地形とも言われている。巨石を組み合わせた人工の構造物に見えるが、方状節理による自然地形という反論がある。ムー大陸の遺構なら面白いが、自然地形で間違いないようだ。養父市大屋町横行(よこいき)に「平家ヶ城」があ...
明治

嗚呼、禅海和尚没後250年!

青の洞門に行きたいという思いは、以前の記事「菊池寛『マスク』を読んで」に書いた。「涓滴(けんてき)岩を穿(うが)つ」と言われるが、人もまた同じ。小さな努力が大きな成果へとつながるという教訓をベースに、仇討を絡めてドラマチックに仕上げた『恩讐...
古墳

吉備における古墳の終焉

長く続いていた事物が一気に終焉を迎えることが歴史ではよくある。パラダイムシフトである。むかしは「ダイヤル回す」というフレーズを流行りの歌でよく聞いたものだ。期待と不安が交錯する思い、あるいは切ない回想を象徴する場面だが、今やダイヤルそのもの...
古墳

岡山県内最大の方墳

方墳に円噴、そして前方後円墳に前方後方墳。数が多いのは円墳、方墳だが、地位が高いのは前後二部構成の古墳だ。岡山県内で最大の円墳は「全国屈指の知られざる古墳」で紹介した小盛山古墳、最大の前方後円墳は「日本最大の古墳を歩く」で紹介した造山古墳、...
古墳

岡山県内第1位の未指定古墳

ロサンゼルスにはリトル・トーキョーがあり、我が国には小京都がある。川越は小江戸と呼ばれ、石橋湛山の「小日本主義」が再評価されている。「大歩危小歩危」「大廻小廻山城(おおめぐりこめぐりさんじょう)」と、大きいものに対して小さなものがあるのが世...
古墳

九州産の石棺と消滅した古墳

消滅した古墳として秀逸なのは「百舌鳥大塚山古墳跡」であろう。履中天皇陵の南にあった前方後円墳がすべて削平され住宅街となっている。地理院地図で古い写真を見ると前方後円の美しい墳形を確認できる。どうやら高度経済成長期に開発されたらしい。後円部の...
奈良

殿様が守った古代の文化財

遠江は「とおとうみ」と読むが、古くは「とほつあふみ」といい、遠つ淡海と書く。この「つ」は格助詞で、遠くの湖つまり浜名湖を意味していた。ちかつあふみは、もちろん近江である。古代吉備の豪族に、下道氏と上道氏がいる。「しもつみち」と「かみつみち」...