戦後

三国国境を訪ねて

根室市にある資料館で北緯50度にあった日露国境標石を見たことがある。日本側は菊の御紋、ロシア側は双頭の鷲がレリーフされた稀有な逸品である。今では陸上の国境がないから、この種のモニュメントはない。国内の旧国なら境界の痕跡を今も見ることができる...
戦後

備作国境に位置する名瀑

伏流水は名水として湧出している。阿蘇山の白川水源、富士山の忍野八海、六甲山の灘の宮水はもちろん、蒜山の塩釜、旭川の雄町もそうだ。動かぬ大地の内部を生き物の循環器の如く地下水が流れている。その水を私たちは名水として重宝し、蔵元は酒造りに生かし...
奈良

美作にある鑑真和上の墓

唐招提寺で鑑真和上坐像を拝ませていただいたことがある。あまりにも有名な肖像彫刻で国宝に指定されている。博物館の特別展にお出ましになることはあるが、厳かなお寺の佇まいのほうが畏敬の念が強くなる。部屋奥にまします和上像を前に、私は正座し暫く合掌...
江戸後期

両備国境の旅

国境は常にトラブルの現場になっている。いま世界で一番話題になっているのは米墨国境で、米国トランプ新大統領はメキシコとの国境で国家非常事態を宣言するといい、メキシコ湾はアメリカ湾に改称するという。それなら我が国も、日本海を東海として太平洋を日...
江戸前期

小堀遠州一族と備中とのゆかり

「大坂幕府構想?」あったかもしれない別の歴史像が話題になったことがある。大坂城の再建担当となった小堀遠州が義父・藤堂高虎に宛てた寛永三(1626)年12月17日付の書状に「大坂ハゆく/\ハ御居城にも可被成所ニ御座候」とある。将軍の居城として...
神話

神功皇后が甲を埋納した山

大切なものを埋納した遺跡がある。有名でしかも謎なのは「銅鐸」である。経典を埋納したのは「経塚」である。生まれた子の成長を願って胎盤を埋納したのが「胞衣塚」である。他にも、土をつき固めた杵を埋納した「杵那築森」や聖武天皇が剃髪した際の髪をや衣...
幕末

井原を彩る近世の武士たち

今年の日本外交はどうなるのか。岩屋外相は中国の王毅外相の来日に合わせて日中韓の外相会議を実現したいと言っている。米国トランプ新政権の対中国政策が厳しくなることが予想される中、経済的に深くつながる三か国が連携することに大きな意味があるだろう。...
戦前戦中

日中友好の架け橋となった先覚者

令和5年の内閣府の調査によれば、中国に親しみを感じる人は12.7%と過去最低だった。確かにそんな風潮を感じる昨今だが、昭和55年には78.6%もの人々が親しみを感じると答えていた。当時の中国の指導者は鄧小平で、胡耀邦の時代が始まろうとしてい...
江戸中期

大旱魃がもたらした小作騒動

災害は過去に学べ、と災害史の研究が進んでいる。ただ知れば知るほど、我が日本が災害列島であることに不安がよぎるものの、それを乗り越えてきた先人の努力に勇気をもらう思いもする。本日は明和七年(1770)の大旱魃とその影響に注目したい。この年の旱...
幕末

渋沢栄一ゆかりの備中興譲館

興譲館高校は女子駅伝の強豪として知られているが、学校の淵源は幕末に遡る。令和3年の大河『青天を衝け』第18回の紀行で「興譲館」が紹介された。見ていないが、この回では渋沢栄一が備中の興譲館を訪ね、館長の阪谷朗廬(さかたにろうろ)と面会するシー...